てっちゃんのお友達がこんなリンクを送ってきてくれました。
https://hojyokin-portal.jp/columns/tokyo_shotengai_josei
いつも様々な情報や、アイディアや、声がけをしてくれるHさん!
本当いつもありがとうございます♪
これを読んで
なんだかピピン!ときたのです。
あっ・・・・これ私の地元の商店街(川島商店街)で出来たらいんではないか?
小さい頃からある商店街。
今ひそかに様々な動きはしているようだが、確実に昔と比べ活気は減り
いわゆるシャッター商店街に入るよう。
長南(田舎)と東京(都会)での
程よいバランスでのお互いの協力、助け合いみたいな関係性のような
たとえば野菜をそこで売るにしても
ただそれだけが目的ではなく、そこをきっかけに
長南での様々な自然の恵みや
人間におすそ分けしてくれている自然の資源(長南なら、たけのこや野草や、梅干とか、れんこん、米、ウコン、竹・・・・などなど・・・)
そのほか農家の暮らしの知恵や、お話。
里山の環境を整備するということや
古民家のつくりや、周辺環境との関係
そういった部分を知れるきっかけになる東京の拠点みたいな
そして、そういった作業にはどんなものよりも、
’人’というものが一番大事であり、必要とされている
その担い手が圧倒的に足りていないいわゆる’田舎’にて
そんな自然の中での活動自体が、なにか生活の中での必要な要素と感じる
都会の方々へのお願い。みたいな
そして、その交換にそういった雰囲気や知恵や食べ物、米などを
運ぶみたいな。
うーーん
なんて言葉で言えばいんだろう。
ただ物を売るとかそういうことではなく、その中間点の中継場みたいな。
色んな選択があるということを知るきっかけだったり、
豊かさに触れる機会だったり
今いる環境でさえ、見方が変わる視野の転換のような場みたいな
私自身、東京生まれではあるものの、
やはり自分が心地よく感じる場は
’土’があること。と思っている
そういう場にこそ、地味ではあるが
本来の豊かさがあり、人類みな、そこに最終的には
たどり着く方法が、様々なことの解決策になるんではないかと思っている。
’田舎’に行けば問題が解決され幸せになるとか
そういうことでは一切ないし
(都会は忙しくて、田舎は良いみたいなそんな安易な事を言っているわけではない前提で聞いてください)
今後、本当にいわゆる食糧難みたいなことがおこったとしても
やはり、今この気づいた時から少しづつでも’土’に近づき
動き出し、手を動かし、実際に行動に移している人たちも多いし
世で言う二極化みたいなことが進んでいるのかもしれない。
このまま経済発展だけを本当に追い求めていったところで
もう行き詰ってしまうことが目に見え初めてしまっている現在。
実際本当に今後なにか全体の動きとして
困ったことになったとして、
そうやって自ら生活の方法を変え、自分らで例えば食べるものを作れる環境に身をおき
作ったり、自給的な生きる知恵を蓄えてきた側だけが
ほらねっ、こうやって動いてきたから、今困ることなく、
何かにコントロールされることなく
自分でどう’生きる’かをチョイスできているんですよーーーーーっ♪いいだろー♪で
終わるのではなく!!!!
今、現にこの状況から
どうしても抜けることのできないことだってあるのだ。
自分のやりたいことやればいーじゃん!とか
人生一度きりだし、そういう所に住みたいなら移住すればいーじゃんとか
言われたって
全員が全員それがいますぐにでも出来るかといわれたら
そうじゃないことだって多いにあるのだ。
それは家庭のことだったり、経済的なことだったり
乗り越えようと思えばいけるかもしれないけど
そこまで考える間もなく、その今いる場で一生懸命’’’生きる’’’をしている人達もいっぱいいるのだ。
それに、田舎だろうが、都会だろうが
その人が今いる場所でのその人の役割があり、
その人が、その場にいるからこそ
できないこともある
それぞれの心地よさは違うし
それは自分に合うものを選んで暮らす
私はたまたま土とかが、近い方が感覚的に
心が落ち着くきがするから
そっちを選んでみているだけのこと
だから、そことそこを、
分断してやってきた人、変えてきた人のみが良かったねではなく、
いざと言うときは
こちら側でも、田舎だからこそ
供給できるものがあれば
助け合えるように今準備しておくから
だから必要なときはいつでも頼ってもいいからなって
言える様な
都会だからこそ担える役割とか
そういう
都会と田舎
お互いがお互いのないものとあるもの
必要なものと、変えるべきもの、保持するべきもの
なんだかそんな部分を
大きな全体的な丸として今後
循環という気持ちよさの中で
いざと言うときに
どんなときでも
協力しあえる関係性をもてるきっかけ
つなげ役。繋げ場?
みたいな存在があってもいんじゃないかと
現に今、母親にきいたら
公園はいつも子供をつれるお母さんたちでいっぱいらしく
常に外で遊ばせれる場を求めているようだと聞いた。
だけど、こっちにいると
そこらじゅうが、走り回れる場所であり発見と学びの舞台に感じる。
野に放っておけば(失礼?w)きっと沢山のことを吸収しまくるのに長けているのは
子供たちのほうだろう。
そして、こちらで足りていないのは人の人数だ。
担い手がいない。
若者は仕事がないと、外へでていく。
だから
必要なものと、求めているもの
山が荒れる
耕作放棄地がふえるなど
全体的な人数も変わっている?だろし
まったくむかしに戻るではないから
一部はもう自然にお返しするみたいな
感じでもいいから
なにか足りないモノ同士を
そこを補え合えれば
ただの地方活性化とかシャッター商店街の活性化とか
そんなその場だけの活性化の枠ではなく
もっと全体的な日本枠でのエネルギーの活性化になるんじゃないか?
そして、もしそんなお店ができたら
ただ単にそこにくれば
とりあえず、お茶のめるよ、人いるよ、話せるよーみたいな場だといいなと思う
あと、何度も言うがただ物を売る買うとかそういうレベルのことでなく、
体験を共有するとか、新しい価値観と出会うとか、
例えば野草の使い方とか?自然の歯磨き粉の作り方?とかなんだろ
都会でもできる生きる力のつけ方、見つけ方みたいな小さな体験ができるみたいな
あとアイディアでは長南定型パックみたいな?月3000円とかで
不作だろうが豊作だろうが、いつでも私たちがいるから安心して野菜や米をつくってねみたいな
そしたら、めちゃくちゃ大量に作る必要もなくなり農薬をめっちゃまいたり
時期をどうにか市場に合わせる為に作らなくてよくなったりみたいな
いくつかの私が思う問題点というか
難点としては、あまり’輸送’というのをしたくないのがある。
一番の本当の理想は地産地消でめっちゃコンパクトな輪で物がぐるぐるまわるみたいな。
そこで生まれたものを、その場で使われなくなるみたいな。
でも一応東京と千葉は近いどいえども何か物を受け渡しが起こるには輸送が絡むのは現実。
あと、店をもつ(実店舗)となると
その場に誰かがいないといけなくなる。かな
何時から何時までで営業、開店ということになる。かな
こういうことがやりたいとか自分でいいつつも、私がずーーーーとその店にいるというのは
自分が思い描く暮らしのスタイルではない、
あくまでこちらで出迎えたいのが本音。
そこをいや!頑張りたいからそこは我慢!はできないし
いいとこ取りと言われちゃうと辛いけど
自分まず心地よくないよぜったいつづかないし
最初はふんばる?
うーーーーん
そして一番はこの助成金、倍率が高い!
そして当たり前だけど申請書類がおそらく膨大・・・・・・・。
まったく未知な領域すぎて、こんなことできるのかよくわからないんだけど。
書類とかすげー準備しなきゃなんだろうなぁとつぶやくと
てっちゃんが笑顔で’まるでキリマンジャロを登るようだね’って言った笑
たしかに・・・。
そうか!そう思えばいいのか笑
と、まぁ
こんな事が2日前くらいにこのメールをもらってすぐに思い浮かんだ。
そんでたまたま明日東京の実家に帰る予定が入っているのである。
だからとりあえず川島商店街をみてこようと思う。
閉まっている店舗がどんなものがあるのか。
母親にきいたら、今の商店街会長?さんは自転車屋さんらしい。
じつは数年前、思いつきで東京から九州に自転車旅をしたことがあるんだけど
その時、買った自転車はこのお店で買ったやつなの!
だからとりあえず、この
なに何の計画性もない、この状態の気持ちのプレゼン資料も、何もないのだが笑
得意のとりあえずいってみるで
話にいってこようかな・・・・・
できるかな?笑
んで、この商店街の真裏がおじいちゃんが建てた、私の実家があるところなんです。
今回区画整備にはまって壊したんだけど、
中野にそんな場がもしできたら
なんだか不思議な縁も感じる。
家はそこからなくなってしまったからこそ、私たちの苗字でもあり屋号でもある
おこがましくも名前を木原家という店して舞い戻れたら
なぁぁぁぁんか面白っと思ってしまった。
でた!私のまとまらない
アイディアとかイメージだけの感じ・・・・・。
どなたか、何か良いアイディアあれば教えてください♪
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