日々の仕事=生きるをしたいのです。

土地探し

そこで本題は

ここから何をするかなんだけど。


日々の仕事=生きる

をしたいのです!!!!笑

いや本気で、大真面目にそう今思っている。

色々考えてみたんだけど
生きるって事をシンプルに考えると衣・食・住。

食べる→野菜植える、植えるには土作る、雑草、収穫、料理
料理する→火が必要、木を集める、切る、かまど必要、かまど作る
肉も食べたい→鶏飼う、鶏面倒みる、小屋作る、卵もゲット、
寝なきゃ→屋根ある建物必要、建てる、自然の素材で作るには、手間&時間かかる、でも出来る。冬の感覚が薄れてるけど、こっちでどんだけ寒いんだっけ?
きっと色々壊れる→直す、時間かかる、でもできる
衣・・・?→綿育てる、糸つむぐ?
暑い→川にいく
寒い→火起こす
風呂→やっぱ薪必要だな、
電気→太陽?なんか水力でやってる人もいるってきいたな。てか夜寝ちゃえばそんな沢山電気いらないんじゃない?
洗濯→インドは完全手でやってたよなー別に時間あればできるよなー
水→ここ一番重要だよなー湧き水とか、飲み水の確保だよなー。

もっと全然いっぱいあるだろし、思っているより甘くないんだろけど
生きるっていうことに付随する仕事は何千もあって、日々沢山の仕事で溢れているような気がする。それらを自分の職業ですと言いたい・・・。それって何?なの? 百姓?


今までも自然の中で暮らすことは私の中ではとてもしっくりきていて、
日々自然の中での作業や、生命力の強さを感じると本当に心がワクワクして、楽しい。
実際タイに行った時はまさにその生活を実現して教えてくれたから、その体験も大きい。
キャンプ生活をしたいわけではなくてちゃんと生活として成り立たせたい。

薪を使って火を起こして、お湯作ったり料理することなんかは
特に私は心がキラキラしてしまい、

石垣にいるときも、料理用のガスが通ってなかったから
ロケットストーブ作って、庭があるわけでもないから
日々仕事帰りに道に落ちている枝をちまちま車に乗せながら薪を集めて(笑)
火を起こして料理したりしてた。

(木拾ってたら、そんなチマチマ集めなくてもいっぱい木材あるからそれ使えと近所のおじさんにも出会えて、後半は拾うこともなくなったけど)

もう陽が昇る前にゆっくり火を起こしながら、お湯が沸くのをカエルやら虫の声聞きながら待っている時間なんて本当にもう今でもよだれが出るくらい笑 私にとっては幸せマックス状態になるわけです。

畑でもお仕事させて頂いた経験も本当に大きくて、日々の大変さということも実感できたし、(まだまだ本当の意味での理解にはきっと程遠いと思うけど><)
でもそれ以上にやっぱり植物たちの力強さ不思議さ、芽の出る瞬間、種まきの時間の神秘的な感じとか、そんな時間や土を触っている時間が多ければ多いほど心がとってもワクワクするのです。

それでも日々仕事をしながら暮らしを営んでいくと、やはり効率さを優先してしまったり

すぐお湯もでる、クーラーもある、冷蔵庫もある、洗濯機もある、とりあえずスーパーいけばどうにかなる。そりゃ~プラスチックもあるだろし、意識せずにいたら
とっても便利なことに沢山助けて頂けるわけで

きっとどこにいても上手く自分の時間を丁寧に丁寧に紡いでいける人たちもいっぱいいて、本当私は毎回すごいなーーーーって思って憧れを持つんだけど

どうも私は自分に甘いし、
ズボラの日本代表ででれるんじゃないかと思うくらいズボラだし
雑誌なんかでみる自然と共に~~、丁寧な時間~~的ななんとも素敵なときの使い方ができていないのが現状・・・・。

でもそんな時間が最高に私は楽しいと感じるということは心がなんとなく分かっているのです。簡単に物事が終わっちゃうより、時間をかけて行われる作業って惚れ惚れします。

・・・が特に彼なんてクーラーガンガン&テレビ大好き、洗剤がきれると嫌
シャンプーも匂いむんむんが尚良し的な・・・・
(なぜその彼が今回の提案に即答でOKしたのか、わからんし、その真逆をいく予定だけどどうすんの?と思うが。笑顔でやってみよう!と答えてたし・・・やる気はあるんだろけど・・・まぁ逆手に考えてそんな彼でも納得&快適を感じれる代用策を試して考えていかないと現代にも通用しないだろうから実験台としては良いかもしれない)


だから無理やりにでもその場に自分の身を置いてみたい!置いてみちゃえばえーじゃないか!というとても浅はかな何の企画力も無いアイディアです。
せっかくならとことんやってみちゃえばえーじゃないか!という・・・・。

だが何故か根拠の無い自信に溢れており笑
勝手にできると思い込んでおる状態なわけです。


でも上手く言葉で説明が出来ず、イメージをどうにか言葉で伝えようとするのだが
(石垣島にいると結構皆否定することもなく、あ~いいじゃ~~~~んって感じだったんだけど笑)

内地に帰ってきてひっさしぶりに洗礼的なのを受け、
-んで?仕事探しはしているの?
-収入は?
-その後の展開はどう考えているの?
-それは何?シェアハウス?民泊?どういう業態を目指しているの?
-いつまで?
-どうせ3年くらいやって終わるとおもうよ

など・・・など・・・
なんだか速さと計画性と現実性など・・・・
一気に私の苦手分野を次々と突かれ・・・・・なんだかしょぼん。

たしかにあまりにも計画性ないしって、自分でも思うしお言葉も返せないわけです。
ここに至るまでもだいぶ沢山の方にお世話になりまくる&頼っている状態で来ているし。

決まるまで貸してくださいって叔父さんに頼みに来たのですがしっかり計画性ないところにどうぞご自由に~なんて言えないのもわかるし

本当最初叔父さんなんかは意味不明だよと思っていたようで。

最初私たちが石垣島であまりにも貧困で生活に困窮し、
家もなくなったから今まで顔もそんな見せなかったくせにいきなりやってきて住ませろっていっとんだろーーー!

お前30も超えて何考えとんじゃーーーー、しっかり働いて基盤作れよ。
的な・・・・・笑

ですよね。そうおもいますよね笑

でも話を聞いてくれ今は
‘お前らどすんだ?仕事どなった?と言いながら……でもそだよな、やりたいことやってみなきゃだよなー!笑 がんばれよ’って毎回若干のプレッシャーを頂きながらも、お菓子やお米をお供え物のように持ってきてくれます泣

まじ感謝。

(期限付きなので9月10月までには出なければ!)

それでも、やっていることが自己中なんではないか?とも思うし
コロナの関係で、どこまで行動してよいのかも迷うし、
イメージだけでつっぱしてきちゃったから一緒に来てくれたてっちゃんとも
日々ぶつかったり、悩んだり、自分でもどう形にしたらよいのかわからんから泣きが入ったり、だけど、結局いけるっしょっと笑いに戻ったり

やばいね、ただの情緒不安定じゃん笑

叔父さんに言われたのは、お前ら世捨て人になるんか?と

別に色々な事から離れ何にも頼らず生きていく!っていう訳ではなく、
頼るところは頼りつつも
心地の良いバランスのところでやっていきたいなと思うのです。
現に今こうやってネットも使わせもらっているし、車があるから移動もできているし様々な発展があったからこそ、生活が成り立っているし

ただ今、本当に物が溢れまくり、全てのものが速いスピードで動いて効率さが優先でなんかちょっとtoo muchになってる気がして・・こんなにぶわ~~~と進んじゃって大丈夫?もう少しゆっくりじゃ・・だめかしら?と思うのです。

しっくりきた言葉が100%の自給自足・・・でなく自給自立だと。

ということで
現段階で今やろう&やりたいと思っているのは

生きる=仕事の体現
千葉のおじいちゃんのお墓の近く(長南町周辺)で
土地、山林?原野?を探して、自分達で住めるくらいの小屋を建て
(出来れば竹を活用したい、昔の日本の工法?しりたい)

衣食住にまつわる仕事を日々こなせるようになる。

今年中には見つける&始める(できれば9・10月中)

それがどう職業=収入として繋げるのかは今は正直わかりません。
自分的には何故かそこを大きな問題として捉えていないんだけど
すごくそこを突かれるのでやっぱ考えなきゃいけないんだろなーと思いつつ

むしろ今までそんな生活だったけど
大きな額の収入としてやる方法が見出せなかったし、非効率的といわれるから、今の社会の仕組みとして、そうでない方向に進んでいるような気もするし。

だから逆に見出してみたら?と思うし

むしろそんなに必要なのか?って根本的な部分もあるし

だけどある事で何かの為に使えることもあるでしょうし。

でもきっと続けてたら何かに繋がるような気がしてやまないのです。
でました、根拠のない自信。

最近頭に思い浮かぶ言葉が二つ

●やってみないと失敗体験すら体験できない、だったらやってみたほうがいーじゃん、
もしかしたら上手くいくかもしれないし。

●色々場所をみて思ったのですが、日本に限らず
自然の広さ&大きさ&壮大さは半端ない。
人間が一生懸命に様々な技術を駆使して色々建てたり作ってるけど
結局それ以上に見渡すとほぼ自然。
それを自然を守るためにとか、自然に寄り添ってとかなんかおこがましいくらい彼らは堂々とでっかくいるような気がして。
その自然のほーーーんの少しのスペースをお借りして住まわせていただけませんか~?
太陽、土、水の力にすこ~しばかり助けて頂きながら生かして頂けるとありがたいで~す。
私達もなるべく自然さんたちにご負担のないよう、協力しながらやっていきますんで、
手助けできることあれば言ってください~私達も手貸しますんで。どうぞよろしくねっ!
スタンスがよいなと。


夢、ざっくりイメージ、条件として
親戚一同が昔のように、集まってご飯を食べている様子
(おじいちゃんがここに墓作ったのも、皆が夏休みに海に遊びにいく帰りなんかに寄ってくれたらいいなっていう計画だったと聞きました。)

今までお世話になった方々、関った方々&これから出会う人々を招待したい

地域に貢献できる場であること

2年前にタイのパーマカルチャーファームに行きましたが、
全く一緒ではなくともその日本里山バージョン

ちゃんぷるー精神で、沢山の価値観、感覚の人だれでも寄れる

この小さな日々の積み重ねが
何かの/誰かのきっかけになり知らないところで平和に繋がってくれたら嬉しい。


もうぐちゃぐちゃだし、まったくまとまっていないし、
文字に書き出すと本当にこんな思い?なのか?と分からなくもなりますが
ただでさえまとまらないのに、出さないと余計分からなくなりそうなので。

そして今日、おじいちゃんの建てた東京の実家の取り壊しが始まります。
その前に何かこの心の中にあるものを、とりあえず何かの形に表したくて文章にしてみました。めっちゃ勇気いります。誰かに読まれると思うと恥ずかしいです。(誰か読むんかな?)でも何だか表さずにはいられなくなりました。

このタイミングで戻ってきたことにも何かの縁を感じます。

思い返すと私は中学くらいから外への好奇心が強くなり
卒業してから海外にいき、その後も沢山の出会いや経験を求め、
常にず~~~と外に外にアンテナが張っていたように思います。

本当沢山の場所で様々な仕事したり、旅ってみたり、動きまくって刺激受けまくって、沢山吸収させて頂いて、思い返すと感謝の連続でしかありません。

その後石垣で数年暮らさせて頂けた経験も大きく影響したと思うのですが、
ここ数年は内にある素敵さ、身近のものの偉大さ、大切さ、ご先祖様や家族との繋がり、
潮の満ち引きや旧暦の関係、見えない物への尊敬などなど・・・

もっと内にあるものにも目を向かせて、気付かせて頂けた様に思います。
それは言葉で教えられたのではなくて、周りの方々の長年の経験から出る振る舞いや空気感からだったのかもしれません。

様々な気持ちに出会えた上で
もし自分の生命が燃えることをすることで
全てのご縁の恩返しに繋がるのであれば精一杯動いてみたいと思うのです。

今でもまだ頼りっぱなしで全然お世話になりまくっている真っ最中ではあるのですが、

せっかく沢山の経験をつませて頂けたのだから、
沢山の出会いの中で教えて頂けた感覚や感情が
私の原動力やエネルギーになったのであれば
今度はそれを更に素敵な私なりのエネルギー転換をして
この世界に戻していきたいような感覚なのです。


そう、こうやって熱く語るのも私の好物でもあることも思い出しました。笑


あとは実際に会って語りましょう笑
そんな場所が作り出せるように私達も頑張ります。

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