お餅を食べていたら、なぜか”モモ”の本を思い出した。
何かを一緒に”食べる”には普遍的なものがあると思う。
今朝この前皆でお餅つきをした時の、お餅を食べた。
衝撃的に美味しかった。とろけていた。
そんなお餅を食べながら、そういえば実家の東京でも
町内会とかで知らないおじさん、おばさんや子供たちがいて
餅つきして、それをお祭りみたいな会場で食べた記憶あるなぁ~と思い出した。
今私は”都会と田舎”という言葉でいうと、田舎の所に住んでいるのかもしれない。
だからといって、東京といういわゆる都会が大嫌いなわけでは無い。
見知らぬもの同士でも、何かわからないけど”共に”時間を過ごす
なんか、まぁ~色々大変だけどさ
どうにか”共に”頑張っていこうよ。
餅でもたべながらさぁ~みたいな空気感ってあったよなぁと思っている。
道を歩くだけでも
全員と話すわけでもないし、知り合いなわけでもないけれど
東京ならではの、一体感みたいなものが
なんか大きな一つのチームみたいに見える時がある。
ただ何でも便利と速さが優先されてしまうと
この”共に”的な手間だったり、時間かかったり、面倒だったり、準備だったりという
そういう時間が全て奪われてしまう。
でも、その部分や時間こそが、
味わい深くて実は人間は、本能的には欲している部分で
満たされポイントに繋がるんじゃないかなぁと思う。
今は一人でやろうと思えばできてしまう、どうにかしなければならない様に感じやすくなってしまっているのかもしれない。
“モモ”という本がまさに”時間”に関してのそんなお話なんだけど、
もう一度ゆっくり読むと、うぉぉ~~うんうん。と
色々考えさせられる事がある。
昔の本だけど
その当時からその感覚を伝えている人間が存在していて、
今も変わらず尚通ずる事があるというのは、時代や時期、空間って
あるようでないな。と
結局はさ・・・って元々持っていた物事に立ち戻ろうとする私達は
本能的に分かっていること・変わらずにいることを知っていると
思うのです。
“モモ”私も久しぶりに読んでみようかな~。
読んだことないかた、読んだことある方も、この機会に
もしよければぜひ~♪
モモ (岩波少年文庫(127)) | ミヒャエル・エンデ, ミヒャエル・エンデ, 大島 かおり |本 | 通販 | Amazon
モモみたいな子になれたらいいなぁ~。
余談:
モモを題材にして小学生の時、学芸会で劇した記憶があるなぁ~
なかなか良いチョイスを先生はしとったんだなぁ~
んでもって。
モモってさ~、ネパールの水餃子みたいなやつの名前でもあるよね~。
あれ美味しいよね~。(笑)あ~食べたい。
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