土から生まれる温かな人形
先日地域の小学校にて、郷土文化を伝える授業の一環として
芝原人形作りの授業がありました。
ここ長南町の小中学校では、地域コミニティボランティアという制度があり、
地域の住民がボランティアで様々な形で学校の授業等に関わらせて頂く機会があります。
今回私も、お声がけを頂き初めて芝原人形作りの授業のサポートを兼ね
共に学ばせて頂きました。
江戸時代から続く”土人形”からの流れで、
この地域では明治から作られ始めたという郷土玩具、芝原人形。
今回は、生徒たちと共に実際に”土”を使い型に入れて人形を作るという作業に加え、
人形を作る前には、土に慣れる為に
ビー玉、めんこ、おはじきを指でこねこねしながら土で作りました。
硝子などが出始める前は、この様にビー玉も土で出来ていたそう。
授業最終日、人形の色付けも終わってから
この作ったビー玉達を使って江戸時代に実際に遊ばれていたという子供の遊びを
人形作り4代目である千葉さんに教わりながら、皆で遊びました。
玩具があるという歴史=平和な時代
江戸の時代にすでにこういった玩具があるというのは、その当時でいうと
日本が唯一というくらい稀な事だそう。
子供が遊べるという事は、平和の象徴なのだと千葉さんは教えてくれました。
おもちゃがあるという時代とは、平和だった時代という事なのだと。
遊べるという事に関して、深く考えた事なかったなぁと痛感すると共に
本当そうだよなと。
シンプルな遊びの壮大さ
そして、実際に今回はこの昔の遊びといわれるビー玉や、おはじき等を使って遊んだのですが、もう・・・・子供たちが猛烈に楽しそうだったのです。
いや私も純粋にめちゃ楽しかったのです。
それらは全て、とてもシンプルな遊びです。
指ではじいたり、投げて輪っかにいれたり。
だけど、皆が円になって、
夢中になって大歓声をあげながら遊んでいる姿がそこにはありました。
自分が作った物というのも合い重なっているとは思いますが、とにかくもう大フィーバー!!!という感じでした(笑)
なんだろ。なんか、これだけ様々な物が発展し、それこそ今の時代のおもちゃはきっと音楽が流れたり、ABCの唄が流れたり、アンパンマンが喋ったり、すごい凝ったストーリー展開のゲームがあったりと。
もうあげれば切りがない程様々なおもちゃがあると思います。
それが悪いという事ではないけれど、このシンプルの何者でもないおもちゃを目の前に
これだけ盛り上げるというのは、遊ぶという事の何か本質的なものが大きくその物達に宿っているように思ったのです。
手で作られる魂
工業的に作る物はきっと形もすべて整い、見た目もキレイで何百という物を沢山作れるかもしれません。
だけど、手で作るからこそ生まれる大小の違いや、凸凹の違い、さっきまで土だったものが自分、もしくは誰かの手に触れて、形を変えて物となり、目の前にあるということ。
遊べるという事の尊さ
平和であるという事の意味とは、本来もっともっとシンプルなものだと
改めて教えてもらったような気がします。
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