土壁塗り 土壁は私の夢

家造り

3日間土壁作り作業があった。

長南町に来て、本来壁は土で作られていた事を知った。
その土壁の中には、竹がなんとも美しい状態で
格子状に針目ぐされていることを知った。

それは、私とってはとても衝撃的であると同時に

とてつもないしっくりくる感があって、
全ての辻褄があっている様な感覚になった。



漠然とした竹や土、水や木などの素材
動物たちも当たり前な行動として行っている家づくり

自らの手で採取し、活用したもので住処を整える

それを人間としてもやってみたかった。

そんな中、ここ長南町はまだまだその色が濃く残っている。

そしてその智慧を持っている人もいる。

共に作業をさせてくれる心意気の方々がいる。

そこまでに至る時間と労力
やってみなければ分からない事もおおいだろう

だけど、きっと

土壁の良い所は”誰でもできる”ところだ。

家を造るとは、誰でもできる生きることに必要な営みのただただ一つで本来ある気がする。

そんな事を体感としてさせて、ほんの一部ではあるが
関わらせて頂いた今回。

土を取るという所から、させて頂いた。

作業当日。

子供たちが、裸足で素手で、土に触り
冷たい!という感触や、
その後のお湯の暖かいの感覚など

とにかくそういう事を味わっている様子が
私にとても元気をくれた。

だれでもできる。

そうだれでも出来る。

その実感が、こういった作業には散りばめられている。

あなたがいるから助かった。
ありがとう。

お互いありがとう。

そういう心が意識的にではなく、どうしたって湧き上がるものだ。

だからこういう”手間”という営みが本来あったのだと思うのだ。

過去にも戻ろうという事ではない。
不便な時代に戻ろうという事でもない。
大事な物を守らなけれなならないという、切迫感からでもない。

ただ、そこに流れる空気や時間というものは
もう一度私達の手にも触れる機会やチャンスは多く残しておいた方がいいと思う。

形のない

なにか

ステキなことが

そこにはある気がするから。

今回土壁を教えてくれた左官職人でもある岩越さんがお話してくれた事。

昔、東北の田んぼの脇にて行われるお祭りにて

毎度
そこの土で竈門をつくり、煮炊きをし、料理を作り
祝ったそう。

月日は経ち、年代が息子の世代へと受け継がれる。

竈門をわざわざ作るのは手間である。

ガスコンロを持ち込み、同じ場所で調理を始めてお祭りを迎えた。

確かに”料理をする”という所が”目的”であろう。
そこがゴールであり、確かにそれは果たせた。

だけどそれは、同じなのであろうか。

きっと、そこに至るまでの時間や手間も含めてのお祭りだったのであろう。

長老は、やはり感覚的に知っているもので
竈門をつくるという事をしたがったそう。

という様なお話だった。

やはり、そこに宿る見えないものいうものがある様なきがしてならない。

人間には見えないものがあると思う。
それをわざわざ見える様にと、こじ開けなくてもいいと思う。

だけど”感じる”ことだけは、感じ続けていたいと願うのです。


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