ふと気付いた
あーなんだ!
出来ないって
めっちゃ楽しいんだということを
わざわざ
その瞬間を楽しみにきてるんだということを
太鼓の練習中に思った
まだ出来ないことを
一生懸命できるようになろうと
してる瞬間が1番楽しんでるな皆と
い~顔になっちゃってるもんなと
それは人生も同じだなと
本来もともと私達は、ぜーーーんぶ叶えられてしまうもので、思うがままに自由自在
だからあえて
出来ないをわざわざ楽しみに来てると知ると
まぢ全部楽しいじゃんと
そして
本来はないけど、あるものを
あるものとして
もしくは、あるけど、物質としてはないから
わざわざ体感したいから
あるものとして
(あるやら、ないやら笑)
物質に落とし込んだということを
それは何でかって
もしかしたら
共有してみるという中にある
感覚の喜びの時間を
味わってみたかったからなのか
今は本も音楽も
どんどん媒体も変わり
物質として
手に持てなくなり始めたけど
本来もともとすべて形が無いのだから
進んでいるというより
本来に戻っているような感じ
でもやっぱり紙で読む感覚とか
CDとして目でみて選んだり、手に持つとか、入れるとか
違う味わいがある、
それは
やはり
物質というのを味わうのを
わざわざ楽しんでみたいからだっただろうと思うわけで
そう思うと
物質社会というそのもの
その
今あるそれぞれが良いと思うもの、良くないと思うもの
全てが
良いのだ。
だって
それを味わいたいからなんだもん。
めっちゃ当たり前の事を
ただ当たり前に
書いただけだな笑
という事で
楽しそうな自分
それでも時には、自分の頭には色んな考えが色んな線を描いて凄い状態になるわけです。が、それも本来そもそもないのに、あるように思い込んでいる現実を楽しんでみたいからなんだろな
人間ってわざわざ色々を楽しむ為に遠回りにややこしくしがちに一瞬見えるけど
そんなのも
いじらしくて可愛くて
やっぱり好き
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