生きるという事に命をかけてみたい
歴史が始まる前
人は獣だった
これはブルーハーツの”世界の真ん中”の歌詞の一部です。
今私は暮らしていきたいと思う方向性を発信しております。
それを写真や言葉でみると
”自然”や”環境”といった言葉が連想され
それを大事にしていきたいという思いに繋がっていそうですが。
誤解を招くかもしれない事を恐れずにいうと
とっても大げさな言い方をすると
別に環境を守りたいなんて気持ちはありません。
そこが様々な行動の原動力や、大きな理由ではありません。
いや初めはあったかもだけど、だんだん、だんだん
そこはなんかどうでも良くなってきたのです。
まぁ変な話まず、実際に出来ているわけでもないし、
いやいや大丈夫、そんな対して出来てないからと言われると思うのですが(笑)
どうやったら守れるのか
何をするべきなのか
どう暮らしていったほうがいいのか
などなど・・・・・
なんだかそこが、伝えたい事では全くなくなって来た事に気づき
そこが重要ではないともおもってきたのです。
もっと私はそれぞれが”生きる”ことにそれぞれのエネルギーを
思いっきりかけられたり、発揮できる事に、そういう人がどんどん増えていくという事に
ワクワクします。
あまりにも今は”考えようと”する力が多すぎる。
あまりにも”情報”が多すぎる。
あまりにも”良いこと”とされることが多すぎる。
本来もっともっと・・・・もっと
もっと、あほみたいにシンプルな理由の為に私達はいるはず
ただそのシンプル加減に気づきやすかったり
思い出しやすかったり
そもそも単純に息をしないと生きることができない私達は
どこに住んでいようが
何をしていようが
どんなにそんなのいらない、嫌だと抗おうが
自然からの常に恩恵を受けて生きている。
単純にそこは、この世に生まれた身として
完全に自然に依存し、生かされているからこそ
切ってもきれない関係性の為
自然の事を感じて、共にいるのはむしろ誰しもが
常に毎日当たり前にやっていることなのだ。
ただそれにやはり、そこに気づくと
環境を守るという言葉の感覚で暮らすのではなく、
自然と人にも同じ優しさになり、
そこから派生して、友人、見知らぬ人、地域、国、隣の国、遠くの国へ、地球へと
すべてが繋がる。
だからどうしても、私にとっては根本部分に繋がる
この”自然と共に”という部分を模索したくなるのだが
でも、その方法をどうこうというよりも
別にそれは何だっていいと思っている。
山に関係することなら思いっきりしたらよい
それが食べ物なら、思いっきりしたらよい
ゲームの中に情熱を感じるなら思いっきりしたらいい
車が好きなら思いっきりいじったらいい
パンダが無性にすきならとことん研究したらいい。
何でも、何でも
何でもいい。
ただ、そこに関して
色んな理由を並び立て諦めたり
気づかぬふりをしたり
隙間を埋める為に、なにかをやるのとも違う
何かやってるぽくするためにするのも違う。
無難を選ぶのはもったいないとおもうのだ
(無難って難が無いって書くんだね)
もっともっと
”生きる”ことについてもっとアホでいいと思う。
もっとバカになりたいと思う。
そしたら、勝手にそこにも繋がっているから。
旦那のてつが話していた。
自分が高校生の時
あぁ~~~明日あの子に会える!と思うともうそれだけで
朝ちゃんと起きれたし、自転車通学も楽しくて軽快にペダルをこげた。
それだけで、もう毎日が楽しくてしょうがなかった。と
嬉しそうに話していた。
生きるとはこういう↑感覚で良いと思うのだ。
あまりにも今はOOの為にが多すぎる。
それぞれが、それぞれのアホみたいな理由の為に
やらなくてもいい!と言われてもやってしまう様な
それぞれのそういうアホポイントみたいのを
ただただ、存分に発揮できたら良いと思うし
その発揮しやすさを後押しが
こんな私みたいなアホでも
もしほんの少しでも力になれることがあるのかもしれないと思っているのが
私の願いなのかもしれないし
だから、こうやって何か方法は分からずとも
今やってみてる事だったり
頭の中にでてきたことを書いてみたりしている。
もっともっとバカでいたい。
もっともっとアホになりたい。
生きるということに命をかけてみたい。
それはどういう事なのか
それは
まさに、あの当時の高校生だった彼の様な感覚で毎日を生きるのが
生きるという事に命をかけているような事な気がする。
数年前から彼の影響でブルーハーツの歌をしった。
その中のひとつ
情熱の薔薇の歌詞をここに載せておこうと思います。
今年の元旦の早朝、
太鼓を叩き終わり車に乗った途端いきなりこれが、ラジオで流れてきたのだ。
永遠なのか 本当か時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらないそんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方
なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ちわかるでしょう
情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方
順序だてたり。
計画たてたりできないし
説明も下手くそだし
自分でもわけわかんなくなるし
だけど、
暑苦しくたって・・・泥臭くたって・・・
下手くそだって・・・・
なんかそんな風に生きていたい。
*写真は、石垣時代に乗っていた車・・・(笑)こんなんだったっけ?(笑)
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