以前こんな動画が目に入った。
”愛”という単語を使わずに
”愛している”ことを伝えてください。というゲーム。
そこでお母さんが、娘に向けて
”これ食べる?”とご飯を差し出していた。
娘が
”うん。食べる”と答えていた。
そう。”愛”ってこういうのだよなと思った。
何にしてもそう。
すべてにおいてそう。
言葉での説明とか
何でこれをやるのかとか
本質的なものって
”表される”ことではなくて
その感覚を呼び起こしたり
その感覚を突っついて感じさせる
お手伝いみたいなものであって
すべては行動の中にあるんだな。と
そんな事を、日々野良仕事をしている方々をみていると
その振舞がすべて凝縮しているように感じられる。
本当にそう思う。
旦那のチェンソーが、上手く動かず
ずっと動かないなぁ~動かないなぁ~と
どうしたらいいかわからずにいたらしい。
休憩時間に
早めに現場にもどり
ひとりこっそりと、チマチマ直そうとしてたら
周りの皆さんがどんどん集まってきて
こうだろ、あ~かな。
ほれ貸してみ、これも使えば上手くいくかもなと
皆で直してくれたそうだ。
そういう振舞が、もう全てなんではなかろうかと思うわけで
当たり前の振舞なのかもしれないけど
そういう何気なさに
”愛”を人間は感じる動物であり
OOの為に
OOを守るために
そういう言葉は分かりやすくて
頭では理解しやすいかもしれないし
可視化しやすい
だけど本質的な部分って
もっともっと・・・・も~~~~~~と
何気ない部分にあって
もうそれだけで充分じゃないかと
ふと思う時がある。
そんな瞬間が、色んな人の色んな日常に散りばめられれば
どんな問題も紐がゆるゆる~と解かれて
だけど真っすぐに戻るのではなく
程よい緩さや円や曲線を描いたアートみたいな感じになって
常に形をゆるゆると変えながら漂うみたいな
絶妙なバランスになるんじゃないかと
ふと思う時がある。
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