昨日東京にて小さなお話サロンに参加させて頂いた。
タイトルは
’なぜ私が長南町でお百姓さんのような暮らしをしたいのか”
両親にその事を話すと、そんな話聞きたい人なんているのかね・・・・と驚いていたが(笑)
結果・・・・・・いた(驚)
私の旦那のてっちゃんも参加をして計10名程で話しを交わしてきたのですが。
私は
仕事=生きるだと考えている
しかし
現実的にどうなんだという突っ込みが少なからず入ったり、まぁ思われたりしているのだろうけど
とりあえずそうだ!と自分は思うし
それが何なのか、どうやるのか
とりあえずこの身体を使ってとにかく試してみたいのだ。
そして、見えないモヤモヤがうごめく時に、それを楽しみつつ原動力としながら
また生きていくという事
自分の心の声を思い出す
みたいな事にワクワクする
別に皆が野良作業をすれば良いという事ではないけれど
ただ、そんな作業の最中に、自分の”何か”が思い出し”やすい”という所はあるのではないかと考えている。
とまぁ、
私も何かを話した事が今までなかったのですが、
気ままに、思いつく事を流れで話してもらって大丈夫ですのでと言ってもらえたので
思いつく事を、なるべく思いつくまま話させて頂いた。
そんな会を体験しておもったのは
自分の思う事、言ってみたい事を
話せる事はとても有難いのは大前提として
自分の話がどうこうは、横において
とにかくこうやって”何か”をすると
新たな出逢いがあることに
私は喜びがある。
表面的な会話でなく
自分の内の声をだしてみると
他の方の奥の声も聴けるようなきがして
そのどの話も私は聞いていて嬉しいし、楽しい。
何を結局最終的に願うかと問われれば
世界が平和であるということに尽きるのですが
それは、
自分が何かになったり、何かに変わったり
もしくは、何かを変えようとしたり
そういう事を目指す事からではなく
それぞれが
ただただ、”思い出す”みたいな事
そういう事で
どこにいようがどんな状況だろうが
今いるその場所が平和となり
それは派生して
結局
そんな事が、世界の平和に繋がる一番の近道だと
本気で思っている。
かっこつけた言葉に聞こえるかもだが
本当にそう思っている。
その一つとして、
こうやって
多種多様な人と出逢い
語り
意見の相違も楽しみながら
”思い出す”という事を諦めないでいてほしい。
自分もそうありたいと思っている。
無理して探す、変わる、という事ではない
だけど
何かどこかに、見えないひっかかりが
もしあるのであれば、それが自分を何に導こうとしているのか探す事は、あきらめないでほしい。
そして、もし自分の中で
なんだかぴたっとはまるものが現れたのであれば
周りがどうこう言う、思うかもしれないという所には一切惑わされず
思いっきり謳歌しまくってしまえばよいと思っている。
今回この会に参加された方とは
とても不思議なご縁で繋がった。
中には、なんと私が今住んでいる長南町の同じ集落に親戚がいらっしゃる方がいた。
まさか東京で、初めて会う方とそんな繋がりになるとは思いがけずであった。
このブログにも連絡をくれ、参加してくれた方がいる。
実はてっちゃんとの20数年以来の再会を果たした方もいた。
その他にも、アーティストの方や元教授の方など
それぞれの見えているものや、感じている事
そんな事を話したり、聞いたりするのは
私はとても好きである。
やらなければ出会う事はなく、人生の線はまじりあう事なく通過していったであろう。
このサロンを開いている方は、この場所を平成1年からオープンにしているという。
私が昭和63年生まれなのだから、ほぼ私が生きてきた年数分、ここが開いていたという事になる。
コロナという事が広まった時
どこもかしこも”閉める”という選択をとる中
ここは”開ける”ことをしてきたそうだ。
人と人が話すという行為には
何か変わらぬ根源的なものがあると思う。
その機会を作り続けていることに私は尊敬をする。
駄菓子屋さんのおばあちゃんの様に
そこにいればある、いる。というのは
すごい存在だと思う。
聞けば今まで本当に多くのトピックの会話が開催され
ここ最近ではその頻度は更に回数を増しているとのこと。
皆頭の中や
心に持っている
思いがある
気持ちがある
その人にしか発せない言葉がある
自分なりの方法で
それは
やはり
何かに乗せて
伝えて使わないと
もったいないと思う。
それが”何かなのかわからない”という状態ですら
それ自体が立派な思いという
そういう事な気がしている。
その後に出会った出来事については次の記事へ→
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