田んぼに設置していた電柵の電源部分がなくなりました。
ん???
ない・・・???
ん?ここにあったはずだが・・
ないぞ!と
一瞬どゆこと?とビックリしましたが、
おそらく、盗まれたのではないかと思われます。
田舎では結構あるあるのようなのですが、
農機具等は結構よく盗まれます。
この前は近くの農業組合さんでも
大きなダンプカーまるっと1台盗まれたりもしておりました。
金属が高く売れるというご時世もあいまっての事かもしれませんし
無くなったもの達がどこでどういう経路で、使われているのかわかりませんが
きっと”お金”に変える為にそうなっているのかと思われます。
この電柵に関しては、良くして頂いている方から譲って頂いた有難い品物でして
盗まれた事へのショックより
せっかくご厚意で頂いた物を無くしてしまった事が何より申し訳なく感じています。
以前、何かの本か、どこかの国のある村?での話で聞いた覚えがあるのですが
そこでは”泥棒”という人がいないそうなのです。
泥棒という概念がないというか。
というのも、その人が必要としている物は欲しいと言うのであれば
あげれば、その人は泥棒にはなる必要がないから。
泥棒にすらなれない。みたいな話でした。
あっ思い出した。ネイティブアメリカンの教えみたいのだった気がする。
多分本来この世は○○を必要としている人、それを持っている人、その持っている人がまた必要としている物というのは
上手いバランスでちゃんと存在しているから
ただそれを分け合えばいいだけのような気もするのです。
元々必要だと思い込んでいる物さえ
本来良く考えたら沢山あるわけでないし、必要でない場合も多いにあるわけで。
盗んだという事だけを見て、どうこうよりも
根本がどこなのか、何でそういう事になっているのか
それはその”人”の問題というよりも
大きく巡り巡ると
自分自身や社会のエネルギーの意識みたいなものが
顕著に反映されているだけな気もするのです。
分かりやすく見せてくれているというか。
必要なら、困っているなら
その事を気楽に言えて
それをそうか、そうか、はいじゃぁどうぞ~と
ただ巡っていく。
そういう事になっていったら良いなと思うし
本来すごくそれは
簡単な気もしています!!!!
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