この章は、何回も最初からよんでしまった。
どう上手く言葉でまとめたら良いのかに迷う。
まぁだから、本があるので(笑) 読んでみて下さい(笑)
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3.反省しないで生きる
ぱっと開いてまず目に入ったのが
”プナン語にはまず、反省するという内容にずばり対応する言葉はない”という言葉
貸した物を壊して返しても、特に何も言わず平然と返してくる。
そういう事が日常茶飯事だという。
著者の奥野さんは、その違和感から”反省”をしていないのではないか?という着目点を持ったよう。
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①集団で過ごす私達人間。
必ずそこには人間関係というのが存在する。その中では様々な出来事がある。
きっとプナンもしかり、様々な人がいる。
例えば、ある男がお酒を飲むために村民の物を盗んでお金に変えてしまったとしても
話し合いの場では、皆でその人の責任を追及するのではなく、
”皆それぞれが、物を盗まれる事がないように気をつけようではないか”という結論だったという。
その他にもいくつか例が出ていたが、プナンでは何か過失等々があった場合
個人に責任を求めたり『個人的に』反省を強いるようなことはせず、
その代わり、場所や時間、人材、道具そういった”事”の話し合いがされ
たいてい長い話し合いの末、あまり効果も期待されそうにない方策がたてられ終わるらしい。
何でも数値かされがちな今。
目標達成をすることが良きこと。そうでない場合は努力不足。
もしくは何か失態をした場合は、”個”への反省を求めがちな現代。
効率よく進めようとしがちな部分とは
一味違うものがそこにあると思う。
②反省という概念の事
言葉からみて取れる事として、”○○をしなければならない”という様なニュアンスの言葉も使わないらしい。
”残念に思う”みたいな事はある様なのだが。
おそらく”その時”を生きているからなのではないかと。
”万時うまくいく事もあれば、場合によっては、うまくいかないこともある事を彼らは承知している”
と書いてあったが。
この部分が私は好きである。
以前失敗したらどうするんですか?みたいな事を聞かれた事があるのだが
何が”失敗”なのか私には分からない。
どの状況が失敗というカテゴライズに入るのかが分からない。
選べる2択があったとして
どちらを取ろうが、何が起ころうが
それは起こった事で、常にそれでベストな気がするから。
反省という言葉の変わりに”心”と”考える”という言葉が存在するそう。
きっと
そして善悪という概念や
大きな意味で、これから”良くしていこう””向上していこう”という事がないのかもしれない。
常に”今”だから
なぜか現代を生きる私達は『より良き未来のために』みたいな部分を求められ、人にも無意識に求めがちである。
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反省しないで生きる。
この文での解釈だけでは計り知れない深さがあると思う。
なのでやっぱり気になる方は、読んでみて下さい。
きっとそれぞれの解釈が何通りもあるのだと思う。
著者のこの章の締めに、人類はいつ反省するという事をはじめたのか?
反省することの外の世界に一回出てみる事はできないのか?とあったけど
んーーーーー考えるって面白い事だと思う!!!!
なんだかちょっと堅い回になってしまったけど
一番反響があるのがこの反省をしないで生きるというこの章らしい。
反省でなく
心で考えるをしてみる機会にいかがでしょか?
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追伸: 書き終えてから、また出てきた考え。
プナンの”反省しない”の事例ででてきた一つのお話。
皆で車を一台購入した事があったそう。
狩りで捕った猪を売って、 そのお金でその車の支払いにあてようという試みだったそう。
しかし、その肉を売りに出たハンター達はそのお金を、何かに使ってしまい(たぶんお酒)
結局村に持って帰るお金は、毎度少なかった。
しかし、その消えたお金に対してリーダーも村人も
その男達への”責任”として問いただす事はなかった。
同じように話し合いは行われたが 特に良い案!というのは、でなく
結局車にあてるお金は足りなくなり、車は手放さざるおえなくなった。という。
これを読み、
この事に限らずだけど ”○○がなくなる””できなくなる”や”取られる”みたいな一見マイナスな現象。
現代の人に対しての感覚で言えば、完全に’この男’の人達が悪いのかもしれない。
皆でのお金を勝手に使うのはよくない。
だけど、車は必要なかったのかもしれない。
それは、いらない物だったのかもしれない。
その捕った肉を売りに出てという行為も必要ない事だったのかもしれない。
だから、
ただそういう現象として 起きた。というだけなのかもしれない。とも思った。
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