Nさん
都内在住40代男性。現在介護福祉関係に勤務。
農のある暮らし、人との繋がりのある暮らしに関心があり、
3.11後有機農家やウーフなどで各地を回っていた事がある。
家庭問題、仕事問題、人間関係問題、加齢等々 生きていく上で問題に直面する中、
昨今ますます自分の人生の課題に向き合っている最中。
先日、三重県鈴鹿市にあるアズワンコミュニティーに滞在してきました。
このアズワンコミュニティー、長年共同体作りをしてきた有志が共同体で暮らす中でぶつかる様々な矛盾に向き合う中で「今度こそは理想の暮らしを!」と立ち上げたコミュニティー。
しかし、始まって見れば高い志を共有するはずなのに、何故か話し合う事が出来ない、自分は正しいと思う者同士が相い入れないという困難に直面し、メンバーの中の数名が始めた「探求」がサイエンズメソッドとして体系化されアズワンコミュニティーの社会実験の核となっているらしい。
このサイエンズメソッド、体系化されているとはいえ常に発展変化していて、これが完成形、これが答えという何かを提示する物ではないらしい。
今回僕が滞在した目的はその体系化されたサイエンズメソッドを段階的に学べる場であるサイエンズスクールにおいて行われるコースの中で最初の入口である「自分を知るためのコース」に参加するためでした。
コース期間中は財布、携帯電話、本等、は事前に預け、日常の習慣を一旦リセットした状態でコースに向き合う事になる。
最初の2日位は無意識に財布やスマホを探そうとしていたりした。何かで自分の空虚感を埋めようとする一方で、その行為が更なる「モヤモヤ」を生み出す心のパターンが少し分かった気がした。
そんな感じで自分の普段の自我の延長線ではない6日間のコースで行った事の詳細は割愛したいがその中で心に鮮明に残った気づきを挙げていきたい。
・昼食でエビフライを食べた日の午後のコースで「昼食でエビフライを食べたのは事実か?」という質問を受けた。僕はどう考えても事実としか思えないので、頑なに事実と言い張った。「僕の記憶がエビフライを食べたのは100%の事実だと主張しています」という受け答えに対してファシリテーターは「記憶は記憶でしょ」という回答。その時僕の認識が微妙にそして根本的な転換が起こった気がした。自分が思っている事は自分が思っている事にすぎない。それ以下でもそれ以上でもない。自分の記憶は記憶でしかないし、その記憶を100%の事実だと思っていたとしても、100%の事実だという自分の思い込みにすぎない。
自分に関するあらゆる記憶も記憶でしかない。良い、悪いの価値判断も思いでしかない。
事実は自分の認識で掴む事は出来ない。あくまでも「自分が事実と思う事」しか認識出来ない。言葉にすれば至極当たり前に聞こえるかもしれないが、この極シンプルな盲点がとても不思議に感じた(14歳の驚き?)。あらゆる探求の端緒にこの地点があるのかもしれない。
・今回僕と一緒にコースに参加されたのは17歳から71歳までの様々な年齢層の方々。
コースでは自分の考えを述べる事と共に他人の考えを聞く事にも集中する事になる。他人の考えを聞く事により自分の頑な考えが柔らかく、多面的になる事は勿論だが、様々な年齢層の方々の考えの奥にある「より良く成長していきたい!」という生命の欲求、願いのような物を、同じメンバーと共同生活をしていく中で感じるようになっていった。
普段の日常で他人の話に真剣に耳を傾ける機会は残念ながらそうそう多くない。
しかしこれはとても勿体ない事だと思う。「聴く」という行為は未知な何かが隠されているように思う。更に探求していきたい。
サイエンズ(SCIENZ)という言葉はScientific Investigation of Essential Nature (科学的本質の探求)とZero(零、空、無)の頭文字をとった物らしい。
これだけ聞くと何の事かさっぱり分からない。
実際僕もコースに参加する前は漠然と自己分析みたいな事を行うのかなと考えてたくらいで、興味半分であまり見通しを立てない状態でコースに参加した。
コース終了後の実感はというと、思いがけない発見と掴みどころのないモヤモヤという感じ。
思いがけない発見とは、上記したように自分が「これが事実だ!」と頑なに信じている事はただ自分が頑なに信じているにすぎないという洞察。将来に対する不安(勿論希望も)、過去に対する後悔も自分がそう思っているにすぎない(かもしれない)。優越感も劣等感も自己イメージも自分が頑なに思っているだけ(かもしれない)。
そのような自分の頭を通過して出来上がった「思い」以前の色や質量のない状態が「Zero」だと思う。
勿論思いがけない発見があったとはいえ、以前と変わらず自分の考えに騙されっぱなし、振り回されっぱなしで「Zero」をどう明確化していって、どう付きあっていけばよいのか皆目検討がつかない。なのでモヤモヤするが、サイエンズメソッドの入口が何故、認識を探求するのか良く分かった。認識とは何かを探求する事によって「Zero」の端緒を少しでも実感する事。それが出来ない限り、つまり自分が思っている自分という存在を頑なに信じて、良い、悪いに拘って、重くなったりする事とは別の視点を少しでも持てない限り独りよがりからは出られないし、「社会」、「人生」というようなより広くて他者と関わる必要のある現実的で実践的なテーマと向き合えないと思う。
このサイエンズメソッドのコースはさらなるブラッシュアップの為、6月一杯で開催終了し、しばらく開催されないらしい。サイエンズメソッドのような探求は自分のような超凡人ではとても独りでは出来ない。仲間の存在や多方向の視点がなければモチベーションは続かないし、想像力が広がらない。出来るだけ早くの再開を希望する。
「見てきた物や聞いた事 今まで憶えた全部 デタラメだったら 面白い」
確かに面白いしワクワクするけれども僕の頭の中の記憶は頑なにある一定の世界観が事実であると主張し続けている。どちらが本当だろうか?
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以上、読者さんに寄稿して頂いたアズワンコミニティでの滞在記録でした。
私自身こちらに行ったことがないのですが、下記がその訪問先のリンクです。
アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ ~わたしらしく、その人らしく生きられるコミュニティ (as-one.main.jp)
今回読者さんのNさんと、メールでのやりとりをさせて頂く中で、
ちょうど数日後に、このアズワンに行くというお話を伺いました。
せっかくならば、ぜひどんな事を体験したのか滞在記として書いて頂くのはどうでしょうか?とお願いをしたところ、快く引き受けて頂き、記事を書いて頂きました。
Nさん、本当にありがとうございます!
この様に、せっかく体験した事があれば残してシェアをするというのはきっと、誰かの為になると私は信じています。
また全く同じ瞬間に同じ体験をしていたとしても、それをどのように受け止め、自分の中に取り入れたかは、まさにその”人”ひとりひとり違うと思います。
この様に心で受け止めた事を、ありのまま書き出して頂いた事に感謝です
その感覚を、自分の中から外にだしシェアする事は、自分の中にいたものを改めて自分の眼でも見れますし、まだ体験をしていな人にとっても新たな気づきとなったり
読んだ側としては、自分には持っていなかった感覚を見せてもらう事に繋がり、それを見せ合う事は
ある意味平和活動だと思うわけです。
今までは、作家と呼ばれる人や、評論家などなど何か肩書きのある方の声が広まるものだったかもしれませんが、今はもう違う時代なのかもしれません。
それこそ、今回の記事をきっかけにこのアズワンという場所がある事を知った方もいると思います。
私自身も、送って頂き初めてそういう場が開かれている事をしりました。
そして、皆心や頭の中に持っている思いや、気持ち、感覚などがあると思います。
その表現の方法として、”生きる”活動をしているようにも思うわけです。
今回お願いしたことをきっかけに
ぜひ、他のブログ・メルマガ読者さんの中に
例えばなんだか言葉にうまく書けないかもしれないけれど、なんとなくこんな思いがある。とか
最近こんな経験をした。などなどあれば
ぜひぜひ、送って頂ければなぁと思いつきました。
それに限らず、内容は何でも構いません。
きっとこのブログにたどり着いている方は、どこか何か似たような感覚をきっと持っていると思います。
せっかくならシェアしちゃおうぜぃ!という感じです。
分かり合える事も多いかもしれません。
そして、もしよろしければ、ブログやメルマガで紹介させて頂ければと思います。
そこから、思いもがけない繋がりや広がりや、発展、ヒントなどなどが産まれるかもしれません。
ぜひ、今回の滞在記に関しての記事のご感想などもありましたら、お送りください。
改めて、Nさんありがとうございました!
また密かに新たな記事の投稿楽しみにしております♪
それでは、また~!
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