谷津田を駆け抜ける朝

百姓
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朝5時30
目が覚める
田んぼに行こうと思い立つが、
このすこしひやっとする曇りの早朝になんだか
私の少しマフラーの穴のあいた車のエンジン音を鳴らしたくない気分になり

自転車にまたがり、走り出した。

田んぼまでは坂を上り、トンネルを抜けていかねばならない

その途中にあるのが、これからお世話になる予定の谷津田だ

谷津田とは、山と山の間にある田んぼのことで、

山の湧き水を利用し稲作がされていたところ

だけど、自然の力を使う場だからこそ
水の管理、草の管理、道の確保、機械が入らない等々・・・・・
様々な理由で一人、また一人と離れていき

今ではずーーーーと奥まで続いていたであろう田んぼの姿も見えず
放置されている。

そんな谷津田を両脇に挟みながら走れるこの山道&風景がなんだか
私にはとても心を惹かれるのだ。

そんな道を早朝自転車で走っていると、車で通るときには

気づかない程のたくさんの‘声’が聞こえてきた。

その‘声’の多さに、私は心から驚いた&思わずめっちゃみんなしゃべるじゃん!と
一人で笑ってしまった。


種類が何なのか私には分からないが、様々な種類の鳥の鳴き声、
蛙の鳴き声、虫の鳴き声
とにもかくにも、この忘れさられて奥の方の谷津田であったであろう場所や山から
様々な声が、自由に鳴き、歌っているようにしか聞こえず
思わず自転車をとめて、聞きいってしまった。

その声だ聞こえてくる奥の方の山を見つめ
この風景に囲まれながらいると

ふと沸きあがった思い

谷津田を復活してみたい!あの時の風景をもう一度!
そんな思いもあり、今自分達ができることをと思い
小さいかもしれないけど、まずは手前の田んぼに今年稲を植えようと思っている。


ただ奥の方に続く、この見えない山の中では

もうすでに、彼らが彼らなりに、自分達の住みよい心地のよい場所へと
変えているのだろうと

私たちの手でどうこうなんて、小さすぎる、おこがましすぎるレベルであり

彼らはそれぞれが協力しあってすでにあの奥では何かが再度生み出され、戻されているのだろうと
その声は、あまりにも楽しそうで、自由で、軽やかだった

だから時代の流れととも衰退していった谷津田という原風景
自然の力をお借りしながら、人々が稲作をしていた風景
そんな営みも、効率が悪い、機械がはいらない、手間だ、面倒だ、
できない、やりたくない、無理だ、やってもお金にならない、
そういう‘大変’の部分で、みんな辞めざるおえず、離れざるおえず

次々と放置をされていった。
私は米農家でもないし、その過酷な時代を知らないし経験をしていない。
だけれども、その背景の話を聞くとそうなっていた理由も意味も

そうだよな。そりゃそうだよな。とうなずく事ばかりではある。

もともとはそういう理由であり、一見それは悲しいことのように感じるけど
そうやって一部を自然にお返しし、そのまま私たちが入ることなく
何年も時が経ち、再度彼らの思うように‘歌う’ことができたのもまた事実かもしれない。

そう思うと、今まで自然からとにかく‘取る’‘切る’‘使う’‘奪う’そんな事を繰り返してきてしまった人間が唯一、自然に残せたものは

もしかしたらそんな放置をするということで、できたことなのかもしれない。
なんだか皮肉ではあるかもしれないけど、それくらい大きな力で残そうとしてくれたことなのかもしれない。
時代の流れと共に移り変わってきた米作りではあるけれども

大きな目で捉えると、そんなことも含めてご先祖様は残していってくれたのかもしれない


人間の‘面倒は嫌だ’という一見よくない思いから手放されていったものかもしれないけれど
それはむしろ、そう放置を一度されるべく、いたのかもしれないとすら思った。

それでもやはり、人間が人間らしく生きれる術としては、
自然の力を少しお借りし、ほんのすこしのスペースをお借りし
必要な分だけでかまわないから、自分達の身体を動かし稲作を再度そんな山の水が出るところでやってみることに立ち返ってもいいのではないか。

そんな行動の中に‘生きる’のヒントがあるのではないか。

すべては繋がっていたんだと足から、手から、肌から、匂いから、音から
沢山の声から教えてもらえるのではないか。

それを聞いて少しは彼らにとっても有り難いと思ってもらえる
すこしばかりはお役に立つ存在になれるのもまた人間ではないのか

すべてを、なるべく多く沢山、広くなるべく損をしないようにということではなく
一部は自然にお返しし、ただただ謙虚な気持ちで少しばかりか使わせていただく
そんななんだか、何かに包まれるような感覚になった。

きっと昔は共に歌うということも叶っていたのではないかとも思うのだ。
そんな事実が、きっとあったとも思うのだ。
特に日本は‘和’なのだ。

‘和’という心が心の中にあるのだから、やっぱり叶っていたように思うのだ。

田んぼに到着し、眺めるとこの前の田植え後に残った皆の足跡が田んぼ全体に広がっている
光景が目に入る。その足跡たちがなんだかとてつもなく可愛くて、なんともいえない気持ちになる
まだ植えきれていない場所があったので、素足ではいり植えてみた。
まだ朝のひんやりした水が心地よい。
終わると丁度小雨が降り出した。

おっ帰らなきゃと思い、大通りまで出てくると丁度学校へ登校中のヘルメットをかぶり自転車をこぐ子供たちと遭遇。
まだすれ違うのには遠い場所から、‘おはようございます!!!’と次々と挨拶を交わす。

あぁ。長南町よ
やはり、なにかがちゃんと残されているんじゃないかと
おはようございまーす!と言いながら心のニヤニヤがとまらない私
そんな小雨の今日も、きっと素敵な一日だろう。

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