百姓になりたいっす!とかいいつつ、
日々なんだかこの町の色々を巡って出会って、話して、学んで、笑って
あ~~~なんて素敵な日だっただろう!!!
って気づいたら一日が終わっているような気がする・・・。
いんだろうか?笑
でも毎日学びがあるから、
そんな事も記録に残しておこうと思う。
長南町にある焙煎した豆を販売しているハ兵衛珈琲さんへ。
こちらの古市さんのお話が、なんだかググッと来た。
四国のお遍路さんに行ってから、その経験を元に
現在のこの焙煎所という形態をおもいついたそうなのですが。
お遍路しながらおもったそう。
目的はそれぞれのお寺を一応回りましょうということにあるけど、
それは逆に方法であって、
実際の核となる部分は、そこからそこへ’歩く’という部分にあること。
その間のお寺という点と点のある意味は、その歩くという目的の為だけである。
目的として目指すのは、その点と点が結ばれる線の方の体験の為だと。
だからそこにそのお寺に行けたから、目標達成ということでなく、
一番重要なのはその間だなと。
そして自分がお遍路さんとして歩いている時に、実際人々から受ける暖かい無償のサービス。
お接待を通して、感動することが本当に多く、自分もそういう場を提供したいと思ったそう。
そして歩けば歩くほど、どんどん自分の願いなんて事は小さくなり、
最終的な願いは”世界平和”になったと。
そんな話を聞いて、この焙煎所をみると、
ただ珈琲を焙煎して販売する。
販売するということが目標というより、それをひとつの方法をして、
その場を作るという本当の目標を実現されているようでした。
実際、これもどうぞ、あれもどうぞと本当にご好意で動いている様子が
もうなんだかとっても朗らかにみえて、
オーラとか私見える力ないけど、オーラあるなぁーと思いました。
きっとなんでもそうだと思う。
目的と方法が入れ替わってしまうことってよく実はあるとおもう。
田舎暮らしもきっとそうだと思う。
田舎暮らしが目標となると、きっと見失うかもしれない。
田舎で暮らすっていうのは、その人にとってひとつの手段としてあり、
本当の目的というのは
もっと壮大だけれども、とてもシンプルなことなんだとおもう。
自然農でも目標と方法の話していたけど、
たとえば無農薬、無肥料でやることが目標なのではなく、
それをひとつの方法として、
この世に自分を表す方法というか。それは、ひとつの方法というか。
書けば書くほど、よくわかんなくなってきた。笑
でもなんだかとっても大きいけど
とってもシンプルなことを、
再度考えさせてもらえる一日でした。
プチ情報
実は私・・・キリマンジャロも登頂したことあるんだなぁーそういえば笑
って購入した豆みて思い出した。
すっっっっごく大変だったなぁーーーー笑
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