初めて猪の止め刺しをしました。

わな猟

先日、人生で初めて猪の止め刺しをさせて頂いた。

今まで、止め刺しの現場には同行からの→捌いて→食べるという事までは
していたのだが、
自分で刺すという事をまだしたことがなかった。

が先日は、罠にかかっていると連絡が届き
一緒についていくと、ほれ、やってみという事で、
初めてやった。

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初めてのその子は、とてもおとなしかった。

一回もやったことのない私にむかって
どうぞ、一回やってみと言わんばかりに
とてもおとなしかった。

紐が絡まってという事ではあるけれど、
横たわった状態で刺させてくれた。

本当に、私に”させてくれた”様な感じだった。


その後、ちかくにかかっていたキョンも仕留め
(これは連れて行ってくれたIさんにやって頂いた。)
解体し、食した。

キョンは我が家に持ち帰り、一人で捌いた。

自然とでてくる何度も何度も
ありがとうね。ありがとう。と言葉をかけながら捌く。

その時、そばでは猫がじっとおこぼれの肉を待ち、
使わない部分は跡形もなくなくなり

皮は後になめそうと思うので、こちらも保管。

残りの頭だけが残り、この可愛い可愛いこの子のお顔を
木の根元に沢山の落ち葉と共に埋葬した。

以前狩猟についての現状をしった時
(食用になる事もなく、なっても1部だけを食べあとはゴミ袋に入れて、燃えるごみ処分となる事も多いそう)
私は、有難く全身を使わせて頂き、そして
シンプルにせめて土に戻したかったというのが、すごくある。


だから、自己満ではあるかもしれないが
土に戻せたという行為ができたことが、なんだか嬉しかった。


翌日、皮をキレイに処理しようと外で作業をしていると
悠々と上空を鷹が旋回し、この様子を見ている。

そして、相変わらず猫がそばで見守っている。


その流れの中にいた時

私は

なんともいえない気分になった。

私も空で旋回する鷹であり、目の前のキョンでもあり
この土でもあるし、この空気でもあるし
そして、今捌いている私自身でもあるみたいな
感覚に襲われる。


こういった肉を食す時、もしくは捌くとき、捕らえる時
この動物たちへの感謝はもちろんのこと
全方向へのありがとうがぶわっ~~~~~と広がる。

パックに入ったスーパーの肉達にだって
心からありがとうが飛んでいく。

肉にかぎらず
植物もすべて命なんだと、改めて体感をする。

そうやって日々私達は色んな命と繋がりながら
生きているんだという感覚に襲われる。


こうやって言葉に書くと、なんだかただのきれいごとに聞こえてしまい
実際体感した感覚とはなんだかすこしずれるのだが
やっぱり一番近い”言葉”としては
”ありがとう”というところだろうか。

豆なんか広げてみてみるとよくわかるが、まだ未熟な豆の皮を剥いで中身を見ると
豆はまさに胎児の様な形をしている。
だから、やっぱり同じく命なのだ。
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長南町だけでももう既に年間1000頭をすでに超えそうな勢いで捕獲がされているという猪。


これは問題なのだろうか。
人間を困らせている要因なのだろうか。


なぜこんなにも爆発的に数が増え、こんなに容易に捕まえることができてしまうのか。


私には、とにかく全力で与えまくってくれているようにしか見えないのだ。

何かあっても、食べさせようとしてくれてる気がするのだ


なぜ、こんなにも放棄された田があるのだろうか。

これは、果たして”問題”なのだろうか?

やりたかったらやってくれとまで言ってくれて、使わせてもらえる田畑が全国にあるのだろうか。

これも、やはり全力で与えようとしてくれてる様にしか私には見えないのだ。


災害等も増え、巷では”備蓄”したほうが良い良いなんて言われてもいるようだが

私は備蓄、備蓄ではないと思ってしまっている。


作る、今周りにあるものに気が付く、そこからどう取り入れるかみたいな事を
今からそれぞれの興味が赴く範囲ごとに
今、この時に知る、学んでおく。みたいな
ほうに重きを置いた方がいんではないかと思う。

きっと、その行為は自分一人の身体だけの為でなく
いざという時には、多くの人も共に生きれる術として活用される様なきがするから


こんだけ与えようと全力で地球が示してくれているのに

気付かぬふりをして

受け取らないでどうするのだろうか?

こんなにも、もう全力でずーーーーーーーーーーーーーーーと
与えようとしてくれてるのに

なぜそれを受け取らないのか。

ただ
喜んで受け取ったら

もう

ちゃんと

生きれるように
してくれているようにしか

私には

どうも見えないから。

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だから
ぜひこういう事は
一度経験をしてみてほしいと思う。

捌くにあたり免許はいらない。

そういう流れの一部に、入らせて頂くなんて
心から有難く

生きているなをあんなにも体感させて頂ける機会を

身体を使ってでも

教えてくれる猪たち含め、すべての存在に
感謝しかうまれない。


身体に取り入れさせてもらった私は

有難くも
なんだか口とか、目とか、手や足、考えちゃう脳なんかを持ち合わせ
なんだか知らんけど
動く身体があり

こうやってパソコンに文字をうつなんて
行為もできる指もある。

使わんでどうするのかとやはり思うのだ。

そんな事があると
1瞬、考えた方がよさそうみたいに思わされているあれやこれの
策や方法とかは

一旦どうでもよくなってしまう。

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別に皆が皆猪を捌きましょうということではない。(笑)
命の大切さを知りましょうとかいう、そんな当たり障りのない言葉でもない。
自然を大事にしましょう。とかいう、そんな訳のわからん言葉でもない。
そういう事でない。

もっと本来シンプルなはずである。
私にとっては、こういう営みが
生きるを直で感じる方法っていう事だけな気もして

きっと

それっていうのは何でも大丈夫で
人それぞれがあって

だけど、

生きることを
こんなにも味わってみんしゃいよ~と言わんばかりに
こんなにも沢山のことがあり
色んな機会を、色んな事を通して、
それぞれの元へ運ぼうとしてくれてるのに。

使いなさいよ。って言われている様な

ただとにかく。

そういう風に

思ったりもする。

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きっと意味わかんない事を書いているかもしれません。

なんせ言葉に書き換えると
なんか違う感じもするから

そこに近づけようと

あれやこれの言葉に乗せようとしちゃう自分がいるから
長くもなるし(笑)

でも、どこかで
なにかが

伝わることが

あるのかもしれないという期待と

ただ

”書きたい”という衝動。

まだ、その”それ”には近くないんだけど
でも、せめて書かないと近づけもできない。
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そして、なにより
やはり総括すると
地域の方々への尊敬と感謝がまず一番にくる。


本当に
心から沢山の暖かさをありがとう。





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