東京2日目。
用事があり、地下鉄のったり電車のったり、バスのったり。
相変わらず眠さがまったく取れず・・
何か乗り物にのると、眠さが押し寄せてきてすぐ寝てしまう。
一生懸命身体が復活しようと、頑張ってくれているような気がする
活気がある!人の流れがある!
良いことだと思う。
あぁ新年だし、明るく希望に満ち溢れています!みたいな感じで行きたい所ではあるが
でも・・・・・
もう、いいや。
もう本当正直に今思うことをかこう。
別に東京がいけないわけでもないし、都会だから何かがダメとか
そういう事では一切ない
それも良くわかる。
現に私の親も活き活きと、この場所で彼らの役目がここにあり、
周りの人に優しく朗らかに生きているし、私もこんな都会に生まれ育ったにも関わらず有難いことに、
大切な事はたくさん教えてもらいながら育ってきた。
だから環境だけがどうこうでないのもよくわかる。
それでも、同じように電車に乗り、マスクをつけ
とってもお利口にしている子たちをみていると、
いや、もっともっと・・・・・もっと
泣きたいときに思いっきり泣いたり、
走りたいときに走り回ったりしたい。
良い子にしている事が良いことだなんて、
こんな時からそんな大人が作り上げた勝手な価値観に付き合わされるなんて
本当大きな迷惑だ。
こうあるべき、こっちの方が良い。何をもってそれを良いとするのか。
そんな所のレベルで彼女たち、彼らは生きていない。
こんなにもたくさんの広告や、電光掲示板に囲まれ
あたかも、この’物’たちがあたかもとても大事なもの様に渡されたり、見せられたり、聞かされたり
意識しなくても、常にそんな物がたくさん町に溢れている中で・・・
広いところを見たら私だってテンション
あがってうぉ~~~~~~~!!!!いやっほ~~~い!と走り回りたくなる。
きっと子供たちそんなん駅や商業施設とかでやったら
絶対すぐ止めなさいと止められるんだろうな。
目の前に、何かあってそれが気になったら
それをず~~~~~と一日中眺めている。
走りたくなったら、走る!
叫びたくなったら叫ぶ。
転げまわりたくなったら転げまわる。
もうとにもかくにも、意味不明なことばっかやる。
そんな事の方が大事な時間のような気がする。
とてもよく考えられた、知能玩具?みたいなのを渡されるより
赤ちゃんなんてひとつの木の棒とか、みかん一個とか、葉っぱ一枚とか・・・
そういうもので大いに楽しむ方法を無限に彼らは知っているし、
大いに素晴らしさを感じとれるのだよこの子達は。
それくらい偉大なんだよ。
私達がそれができない脳になってしまったから、自分と同じ物差しでみようとして、
自分が満足したかのよう感じるものを与えて、勘違いしてるけど
そんなレベルじゃないから。きっと。
も~~~~~と思いっきり一緒に走り回りたいし
叫びまくりたいし、泥んこになりたいし・・・・
なんかそんな事を感じてしまい、歩きながら泣けてきた。
やばいよね・・・・私情緒やばいよな笑
いや、でも泣きたいときは泣くねん!
笑いたい時には笑うねん!
そんな事を思いながら、途中で電車を降りて
歩いて帰りました。
でもこういう事をたまに感じる’東京’という場所が私の今の人生からも
遠くない場所に存在し、触れ合い続けるということにも
何か意味があるんではないか。
今思いつくポジティブな意味合いとしては、そういう風に捉えよう!と
思い、久しぶりに感じるこの’感じ’とお付き合いしようと思う。
とどうにか上手く締めようとはしてみたけど、
正直よくわからない。
本当考えなくても良いようなことばっか考えちゃうよね・・・なんだろうね。
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