【掃除から学ぶ自分のこと】私は本当の意味でまだ踏み込んでない

思い



あの奥へ進むと
大変なのがわかる。

どうみても大変そうだから

そこで飛び込むか飛び込まないか。


現代はなんだか先の見通しをつけるのが出来る頭の良さになってしまい
だいたいなんとなく、
これをする事によって起こるメリット、デメリットが思いついてしまう。


きっと大変だろう
きっとしんどいだろう。
きっと疲れるだろう


飛び込んじゃうと、大変そうだから飛び込まないというベストな選択をとる


今回屋根裏の掃除をした

まだ自分は本当未熟だとおもったと同時になぜ、
何故私はこの人達に心を惹かれ共に動きたいと思うのか痛感した様な気もした。


掃除。

大きな古民家の屋根裏の掃除をした。

ほこりはもちろん、動物の糞などもうそれは大量にである。

奥に進めば進むほど大変である。
大きな梁で仕切られており、梁を乗り越えたらその奥にはまだまだ埃が沢山のエリアである。


色んな人がその場所を出入りをする中で、見えてくる何かがあった。


躊躇なくその梁を乗り越え、自ら真っ黒になり埃を集める人

手前まできて、帰る人

のぞく人

入ることもしない人

まずそこをやっているかも知らない人

やっているのは知っているけど、触れない人

様々である

別に何かが悪いといっているのではなく



この先は大変そうだという頭が勝手に働くのだと思ったの


変に頭よくなっちゃったんだよね人間って。って思ったの。


色々掃除という行動を見ながら思ったこともすごく多いんだけど
まず自分の事を言えば、
たぶん無意識に私もそのいらない脳の部分が働いてしまった気がした。

共に作業はしたけど
振り返ってみると、梁を乗り越えることを私はしなかった。

せずに、一番手前の部屋の部分の埃達を書き出し
奥から書き出してくれた埃や糞を回収して外に何回も持ち出した。

確かに一緒にやったけど
きっと私の脳のどこかで、この梁を乗り越えると大変だからやめとこうみたいののが
出てたんじゃないかと思って、なんだか反省した。

近くまではやる自分にはなれたけど、まだその更に一歩を無意識に踏み込んでいないと

共に作業をした皆は、躊躇なく飛び込んだわけ。
んじゃ行くわ!と。



本当に大変なんだよ。
全然やらない方がきっと身の為だ笑
だけど、やるとやった人にしか知らない事がある。
やらない人しか得れない体感がある。



人間って面白いもので
もちろん適材適所があり、全員が同じことをやったって物事は成り立たないから
何か一つの事をなしえようとすると
指示されなくても自然発生的に各自分担をすることがある。

それは必要なバランスである。


でも、いくら言葉でキレイな事を並べて
あたかも的な事を言っていたとしても
その立ち回り、振舞いで全てが出てしまう。
すべて出てしまう。

助けてといってもいないのに、
人足りなそうだからこっち手伝うよと躊躇なくすぐに上がって作業をする方がいた。
大口を叩くわけでもなく、黙々と作業をする様に
お仕事でも下支えをする立場という彼をみて、尊敬の念がむくむくと湧き上がった。
どんなにそういう振舞いが尊いか。

そんな作業をする横で
まだ終わんないんかい?と待つ風景

なんだか今の現代を凝縮しているような感覚になり
ショッキングでもあり
でもこの見えてる景色は自分の心でもあるんだろうなと思った。

常に見えない部分で動いている人たちがおり、逆もしかりだから、
自分がいない他の場での苦労も知らないわけなので。

その場にいないと逆の大変さもしらないとも言えるだろう。

でも
まだ私は完全に飛び込むことをしていないのかもしれない。


これは私の仕事、
それはあなたの仕事

そこと、そこには線があり

踏み込まない方がおそらく良い。
少しでも関与してしまえば巻き込まれる。
知らない方がむしろ良いかもしれない。
でも、気にしてない風だとあんま良い感じには思われないから
気にしてる風。
手を貸している風。

ほんの少し1秒2秒でも本当に心を向ける。
でも、この小さな1秒、2秒を違う部分に使うことが重なり大きくなって
今の社会の何かひずみがでているんじゃないだろうか。


あぁ・・・人が手を必要としているなら
すぐに手を出せるじぶんでいよう


別に頭がよくなくても、バカでも
自分にだって手を貸し出す能力はあるだろう。

すっと差し出そう

何の躊躇もなく、駆けつけよう


躊躇の心って何なんだろう。

困ってたら助けるってよく聞く言葉だけど。

こんなに頭で考える世の中になってしまった今

きっと躊躇してる。

頭で考えて止めてるだけだ。

本当もうそれがあまりにも日常的すぎて
止めてる感覚さえ忘れてしまったのかもしれない。

躊躇している自分にさえ気づかなくなってしまったのかもしれない。


すっと差し出そう。

すっと動こう。

気づける自分でいよう。

尊敬出来る人がこんなに周りにいるから
お手本にしよう。

前教えてもらった
ネイティブインディアンの言葉
泥棒がいたら、その人にはその人の欲しいもの、必要なものを分け与える。
そしたらその人は泥棒でいなくてよくなる。

それはとても素敵なことだ。
本当にその通りだとおもうし、そうありたいと思った。


でも私はまだ頭だけで理解している様なもんだ・・・・



なんだかよく分からない感情になった

そして、とても感謝した。

自分の弱い部分をつつかれた気がして
そんな事を考えてみる良い機会だったなと感謝したい。








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