昨日私の人生初めての稲刈りでした。
今年が私は初の一からの米作りでした。
百姓ちかとか名乗ってるけど
米作り初めてっていうね♪(笑)
皆で種を蒔き、田植えをし・・・・様々な工程を超えて
稲をかるまで辿り着きました。
今まで共に田んぼ作業をしてきた仲間、そして手伝いに来てくれる皆
苗の状況を気にしてくれたり、代掻きを一緒にやってくれた地元の方や
畔作りを一緒にやってくれた方や・・・
もうそれはそれは・・・・・沢山の方々のご協力のおかげで
今日という日に辿り着いているわけです。
手刈りでやるわけだけど、イノシシの被害も少なからずあったため
スムーズにというわけではなかったけど
それでも予想より沢山収穫できて
まだまだ終わりではないけれど
一言・・・・・・なんだかやっぱり言葉にできない何かが田んぼにはある。
疲れるよ。いやぁぁぁ~~~本当に疲れた。笑
途中調子こいて、田んぼの脇に植えた蓮根達を掘り出してみよう!となり・・・
これが、まぁ本当に大変で。
今時、手と鍬だけで掘る人はいるのだろうか?笑
ただ見つけた時の感動と楽しさで女子たちは
きゃぁきゃぁー叫びすぎて
アトラクションに4回くらい乗ったくらいなテンションでした。
あんなに盛り上がるか?というくらいでした。
![](https://kiharake.com/wp-content/uploads/2022/09/IMG_20220910_111207-1024x768.jpg)
だけどあーやって皆で力を合わせてやる作業って何なんだろうか。
![](https://kiharake.com/wp-content/uploads/2022/09/IMG_20220910_133329-1024x768.jpg)
稲刈りと一言でいってもただ稲をかればいいだけではなく
稲刈る人
刈った稲をしばり、干していく人
干場となる土台を竹で作る人
合間にごはんの準備するひと
必要なものを集めたり、渡したり取りに行く人
それぞれが、それぞれのポジションで終わりに向けて
力を合わせるわけです。
![](https://kiharake.com/wp-content/uploads/2022/09/IMG_20220910_114634-1024x768.jpg)
私達の仲間の中に、絵を書く方がいます。
その方には、田んぼでの様子が皆がダンスをしている様にみえるらしく
稲作ダンスというとっても素敵な絵を以前書いたようでこの前見せて頂きました。
それがとっても素敵なのですが、
今日上から田んぼを眺めてて、
皆が田んぼの中で動いている様子が
正にその稲作ダンスの様な光景でした。
誰かが作業をしながら
うぉ~~~なんか生きてる感じと叫んでいました。
![](https://kiharake.com/wp-content/uploads/2022/09/IMG_20220910_161914-1024x768.jpg)
お昼を皆でたべて、
掘ったばかりの蓮根を生で食べたり、焼いてみたり
傍になってるゆずを取ってしぼってみたり
![](https://kiharake.com/wp-content/uploads/2022/09/IMG_20220910_121532-1024x768.jpg)
どんな事よりも贅沢な時間に感じました。
何かが田んぼにはある。
たぶん何かが田んぼにはあると思う。
何かがいると思う。
そんな気がしてならないのです。
むしろ、
人生なんて
美味しくごはんを食べて良く寝る。
こんなに満たされていることなんてない。
でもそれを達成する為には
気持ちの良い疲労感が欠かせない。
作業して疲れて、ごはんが最高に美味しくて、眠くて寝る。
家族や仲間と話して笑って、お疲れ様~また明日~で
季節は移ろい、必要な作業は次から次へとあり、
悩んでいる暇はないのです。
本当悩んでる暇ないんだよ。
人生って何なのかな?なんの為に生きているのかな?何がやりたいことだっけ?
どうやってやる?どんな方法で?
どうやったら生活費を稼げる?どうやったら学校にいける?
どうやったら好きな事をしながら収入を得る?
どうやったら・・・・・どうやったら・・・・・
そんな事を考える暇もないわけで笑
ただ目の前の事を暮らしをやることが人生の意味みたいな。
それだけでもう充分じゃないかと本気で思うのだ。
どうやったらこれ掘れるかな?
どうやったらこれ乾かせるのかな?
どうやったらこれ食べれるのかな?
どうやったら火おこせるかな?
美味しいのかな?
そんな事で頭はすでにいっぱいだ。
だってそれって生きるに直結してるから。
そして、そんな生きるの必要な全ての行動や作業は
何にも超えられない最高のエンターテイメントである。
と今日稲刈りをしながら、蓮根掘りながら思った。
もう今は本当めちゃくちゃ色んな「どうやったらいいか・・・・」
という事で世の中が、溢れている。
そこに頭を使うとなんだか悩みみたいになる。
どうやったら食べれるのか?どうやったら作れるのか?
そんな事にどうやったらの頭を使えば
悩みではなくそれは、生きる作業となる。
![](https://kiharake.com/wp-content/uploads/2022/09/IMG_20220910_084014-1024x768.jpg)
その一つの分かりやすい方法として
田んぼとは何か特別な力を持っている気がする。
そんな田んぼ。
もう一か所、
長年にわたり耕作放棄地となっていた谷津田の田んぼも
今年開墾をはじめました。
昔は牛を連れて中に入っていった様な所です。
そんな場所で
また、沢山の人と、一緒に稲作ダンスをする光景がどんどん広がる事を夢見ています。
ありのまま、自分が何を考えてるのか
何をしてるのかなるだけ詳細に出したらいいと
それは、大河の1滴かもしれない
何も変わらないかもしれない
それは、自分が生きてる間のことでもないかもしれない
そんな言葉を昨日読みました。
ただでさえ1滴なんだから、頭で考えて止めてしまっては、更に少ない0.01滴になってしまう。
自分の中にあるもの言葉にすら表せきれないもの
どう表したらいいかも分からないもの
私自身もまだ分からないこと
まだまだ1滴にすら満たないと思う。
それでも今のこの瞬間瞬間をだすことをせめて今できる事として続けていこうとおもう。
それではまた♪
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