昨日はいつも私があーだこーだと考えることに(笑)
ずっと思いを馳せてくれていた友人を連れて山へわな猟師匠と共に日々のわなの見廻りや設置作業に同行してみてもらった
今日はもうかかってなさそうだなと気を抜いていたら最後のポイントで鹿さんが。
止め刺しの現場の見学と共にさばいて食べるという所までを体験してもらいました。_
私の住む町、長南町は愛ある素晴らしき偉人達が沢山いるのですが
その、お一人に触れて頂いたことがまず嬉しくまた、
動物達が生命をかけて教えてくれる何かまた食べるということのリアル
人間の都合でない時間の動き方や今目の前にある、
身の回りにある全ての事の凄さの痛感
私自身、自らが動いてみることで世の見え方が変わってきた様に感じていて
多分捉え方感じ方受け止め方は多種多様である
なかなか盛り沢山な1日となりましたがどう受け止めてくれたのか
ともかく無事に怪我なく1日が終わり安堵1日お疲れ様でした。
_
一応獣害駆除従事者として、登録していますが自分1人ではまだまだ何も。
かかってなかったらいいな。とわながある所まで歩きながら思っている私
鹿の姿が見えた時、あぁかかっちゃたのね、あなた。と思う。
矛盾。
ちょうど1日前にオス鹿が同じ場所でとれている。その時、すぐ側にメス鹿がいたそう。もしかしたら、そのメスかもしれない。離れられなかったのかもしれないね。という話になった
辛いがたまたまそのオスが埋まっているちょうど真上で止め刺しとなった。
習性的につがいで動くのか、そういう行動があるのか分からないが
だけど私達の知りえない世界はあると私は思う
止め刺しする直前鹿は私を見る。真正面から1度あのクリクリお目々で見つめる時間が一瞬ある気がする。
そんな事ないよと笑われたけど刺してる時
心臓の鼓動を手に感じた気がした。
彼らは何を伝えにきてくれてるのだろうか
私には分かりかねるし分からない
自然のこと
環境のこと
人の生活のこと何の状態がよくて
どうあると”よい”に、なるのか
どれくらい捕ることが正解になるのか
“よい”ってそもそも何なのかどうなのかわからない
わからないけどなぜか私は関わっていたいと身体かうごく
分からなすぎるからせめて私は私が感じさせて頂いた事をなるべく伝えておくという事だけでもせめてしていたい。
そして
やはり捕獲→処分の流れから
ほんの少しでも和らげたい
小さな地域で目にみえてる範囲でも
せめて”繋げる”という
お役目を承れたらありがたい。
コメント