2021年7月28日石垣島から引越しをしました。
私は約5年程、彼は7年ほどお世話になった石垣島を出て約一ヶ月程が経ちました。
そうしよう!と決めたのが6月の中旬、気づけば翌月に飛行機に乗っていました。
石垣島が嫌になって出たという訳では全くなく、大好きすぎて困ります。
素敵な方々に沢山出会い囲まれ、大自然がすぐそばにあり、日々感動することに溢れむしろ動く必要もなく、とても居心地のよい場所です。
年数は浅いけど今まで転々と動き回っていた私にとっては
ここまで落ち着いて日々の生活を構えたのもはじめてで、まだまだ知りたいことも多いし、地元の方々にも本当よくして頂き、よしここからっ♪と思い描き始めていました。
なのになぜなのかと言われると私自身もよく分からないけど、本当になんとなくです。
川がす~~~っと流れていくように、
悩むこともなく本当にビックリするくらい自然にそういう流れになりました。
ただおそらく・・・・
おそらくというかこれは完全に私のおじいちゃんの仕業だと思っています。
4月末、千葉にある父方のおじいちゃん、おばあちゃんのお墓に行きました。
いつも小さい頃から行ってはいるけど、中学でてから家を離れちゃってるし、
海外やら日本にいても仕事だの、遠くに住むだので、
お正月やお盆で親戚一同がよくもともと集まる一家なのですが、
そんな時も、私だけ行けないことも多くありました。
ましてや千葉のどこにあるかすら知らないし、
親の車に乗ってたら気づけば墓についてるし、往復の道中なんて爆睡する為の時間的な・・
だけどこの前の4月に来たときに、車の中から周りの景色を見たときに
わーーーーここら辺すごい素敵じゃん、となんとなく景色がキラキラしたように見えたのです。
そして住みたいなぁ・・・と。
そういう思いに至ったのも
今回の東京の実家の引越しも大きく関係したように思います。
数年前からずっと計画にはあがっていたのですが、
実家が区画整理の場所に該当するため、ついに今年建物を取り壊すことになりました。
両親もそれにあたり、新たにこの場所に家を建てるのはやめて
近くのマンションに2人暮らしで住み始めることにしました。
ここはおじいちゃんが建てた家であり、
私もおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住みながら育った家です。
ここはおじいちゃんが建てた家であり、
私もおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住みながら育った家です。
その大掃除&大引越しをするために4月に一度実家に帰りました。
父を含め兄弟6人が生まれ育った家でもあり、私自身もここで育っています。
もうその片付け作業はとんでもない作業でした。
(これやばくない・・・・?
全部家の前にご自由にどうぞで出したら皆持っていってくれた。ありがとう!)
最初は物の片付けばかりに目がいき大変でしたが、
だんだんと写真や手紙、思い出の品などとも向き合う時間が増えました。
↑私の知らない時代の写真と沢山対面しました。
その中で、記憶すらない時代の過去の自分の奮闘ぶりやもがきっぷり
今見ればめっちゃ小さな悩みに本気で悩んで、でもちゃっかり乗り越えちゃってる様子
子供ながらに子供同士で一生懸命問題解決しようとしている手紙のやり取りとか笑
(女子って色々めんどくさい事あったよね)
仕事用のメモとか
(すげーまじめにめっちゃ頑張ってるじゃんって自分褒めがちなんだけど)
母の日記なんかも出てきて、見ちゃいけないとは思いつつ・・・チラ見してしまい・・ごめんねw (これ生きてるうちにやっちゃ駄目だよね)
遊びまくっていた時代の私をただただ心配しているのに、何も言わず
おかえりと言ってくれていたんだなーとか
私が海外ほっつき歩いていた時代の母のどしんと構えつつも
常に考えてくれていた様子を垣間見てしまったり
おばあちゃんがさらっと書いたであろうメモとか
高校生のときに私がおじいちゃんからもらっていた手紙とか
両親の結婚式のカセットテープとか
(ビデオじゃないよ!ただの音だけなの!それが逆にレトロすぎて染みた。父ちゃんが最後に加山雄三歌ってた)
もうなんだかすべてが抱きしめたくなるくらい愛おしく感じて
とてつもなくおっきな愛を感じて
いつものただの部屋にいるだけなんだけど
冗談抜きで
時空を超えためちゃくちゃ壮大な旅をしてきた様な感覚に襲われました。
宇宙旅行なんてもちろん行ったことないけど、
行くとこんな感情になるんじゃないかなとすら思った。
行かなくても今もうここが宇宙で全ての答えで、もうなんかとにかく凄いことじゃん!みたいな
たぶん機から見たら相当ヤバイ奴に見えたと思うけど、
見返しながら本当一人で感動の波に乗って泣いたり笑ったりしてた。
全然違う時代があるんだけど、それが実は全部同じで別に分かれているわけでもなく、繋がりがあって物事が起こっているというか・・・・
あっあともう一つ不思議な感覚は
今回時間もあったので本当に小さな物から全て見返していったんだけど
全てを残すことは出来ないので選別をしていかなくてはいけなくて
当時の私の日記等々色々なものも今回沢山捨ててきました。
本当に大事なものだけを残して、
実際にその物たちとお別れ(捨てる)という作業が
今までの私ありがとう、全て無駄な体験はひとつもなく
その体験して得られた感覚は身体に入ったから大丈夫
また新しく次の体験に出あうために、スペースを作って
さぁ新たなスタートですよ!という
リアルな感覚が湧き上がりました。
(たぶんこんまりさんとか、こんな感覚の提唱なんじゃないかと勝手に思った)
分からぬままではなく、今ちゃんと向き合ってから出来たことにも
本当に感謝が溢れてきました。
そんな時間を過ごしてた最後に、おじいちゃんのお墓に行ったのです。
だから余計何か感じたのかもしれません。
更に勝手に縁を感じたことが、場所柄そんなお墓参りにしょっちゅう行けるわけでもないので、毎回行くと草がボーボーになっています。
その草を抜いていると何故か墓石の後ろにシーサーがころっと置いてありました。
親に聞いても、こんなんあったっけ?そういやじいちゃん置いてたかも?でも気にも留めてないから気づかなかった。とのこと
石垣島にいて身近だったせいか、なぜか後ろに転がっているのがしっくり来ず、表の両脇に移動させてあげました。
それも不思議で私も今まで一回もそこにシーサーがあることなんて気づかなかったけど今回初めて気づいた。
おじいちゃんも沖縄なんかゆかりもないし、行った事もないと思うんだよな
でもじいちゃん喜んでるねーーなんて皆で言いながら
不思議な繋がりに、なんだかとても気持ちいい気分で帰っている道中
からの景色が今までとは違くみえたのです。
ここ住みたい・・・な。住むんじゃないか?とふっと思いました。
なんでそんな気持ちが湧き上がったのが自分でも分かりませんが
その気持ちを抱きつつ島に戻りました。
今石垣で出来ることは?と思い現地の市役所に問い合わせてみたりはしながらも、場所が見つかってそういう流れになったら、いつかはあっちに行けたらいいね~、いつかは行くんだろうね~なんて話しながら、いつか話として日々を送っていましたが、6月にふと仕事から帰りながら思ったのです。
行っちゃえばいいじゃん。と
よく考えると母方の実家も場所は若干離れるが同じ千葉、今は親戚が管理をしているけど
もしかしたらとりあえずは貸してくれるかもしれない。
帰って彼にもう今行くのどう思う?と聞くと
即答で’良いと思う!’
翌日、母親にとりあえず自分達の土地が見つかるまでそこ住める?
‘聞いてみるね’ 10分後 ’いいってーー。’
(実際は話が色々伝わっておらず・・・こっち来てから大変だったんだけど・・・・笑)
翌々日、ちょうど1ヵ月後の飛行機チケットを買い
お仕事させて頂いている職場にそれぞれやめますと伝え
一ヵ月後の・・・・今に至る。
とざっくりこんな流れ。
今年の初めには自分達でも思いも寄らなかった行動。
まだ何も始まっていないけど・・・始めちゃったから・・・始めなきゃいけない。笑
何を始めたいのかは次へ→
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