仕事行ってきたの?の質問に対して・・

思い

無意識に自分でどう選別をして
答えているのかについて気がついた。

先日帰ってくると仕事行ってきたの~?と聞かれて、ふと思った。

有り難いことにたまにてっちゃんは山に行って作業させて頂けることがあり、
お仕事として’お金’を頂くことがある。

そんな時は自然と、はい、お仕事行ってきました。と答えている。

だけでも
同じようにどこかに行って何か作業をお手伝いしてきた時などは
無意識に’いや、お手伝いで行って来たんですよ’といっている自分がいた。


ふと思った・・・・・んっ?
仕事の定義ってまず何やねん?

どんな大きな企業に勤めていようが、個人で会社を営んでいようが
仕事というものの定義は
どんなサービス、内容であれ
どこかの誰かが必要としていることであり、
回りまわって何かの為、人の為になっている。
それが仕事というものの発祥ではないのか?

それを仕事の定義というのであれば、
たまたま・・・’たまたま’、そのありがとうね~の形がお金という形で表され
返ってきただけのことであり

お金が得られることが仕事で、得られないものは仕事ではない。
なんて定義は違うよな?と

その行動により、お金以外でも
その経験から得られる自分の中に入る’知識’や’感動’もひとつの自分の元へと
帰ってくる対価であり
むしろそれはお金では得られない、お金はその役目を担うことさえできないし、代わりにもなれない。

笑顔でありがとうも代わりにはなれないし、
そのときの出会いや、香りや風景も代わりにはならない。

きっと・・・自分ひとりが動くことで、
どこかで何かのきっとだよ・・・・それは分からないけど
何かの役には多少はなっていると思う(そう願うが)

そう考えるとそれを仕事と呼んではだめなんだろうか?

もちろんお金を得ることにより、そのお金を使って更に次のステップへ広げていったり
もっと沢山の広がりをもたせてより多くの役に立てることにも繋がる。
そういう道具でもある。

だけど、そうやって知恵を学んだり知ったりすることによって
今自分が知ったことを次へつなげていける、話していける、広げていける一つの要素であり
形はないかもだけど、それだってひとつの道具でもある。

というか人の為とか、役に立つためとかかっこよさげな言葉があるけど
でもまぁ人間そんな綺麗ごとじゃなくてきっと基本的にすべての行動って自分の為なのかもしれない

だけどもその定義にのっとって考えたとしたって結局
お金の為に仕事をする(=自分の為)、
そういった知恵を得る為に仕事をする(=自分の為)

だから結局何を得るのかが代わるだけで
それが仕事という定義としては成り立つみたいな?

それが回りまわって結局自分の為ではあるが、何が得れるかの違い?
でもその’何’の部分は、他には変えられないものではあるから
別に’何’っていうのは人それぞれ違う?

ん?
えっ?どゆこと?笑



そう思うと、お金を得ることが’仕事’と呼ぶなんていうのは
あまりにも浅はかな考えだった。

いや別に自分はそんな風には思っていないと思っていたけど
無意識にそういう風に自分の行動がどちらに属すのかをわけていたことに気がついた。


そんな事をふと考えさせてもらいながら、昔から百姓として暮らしてきたおばあちゃんから

読み書きできる頭があんなら、わざわざ百姓なんかやんなくてももっと簡単にお金を稼げるだろうよ・・わざわざ百姓なんてやらんくたっていいだろよ。と

たしかにそうなのかもしれない

だけど、その一つのその社会、会社の中ではもしかしたら有能社員!将来有望!高給取り!出世!なんて言葉があるのかもしれないけど

1歩山に生き、ここで生きてみんしゃい!となったとき

やっぱ百姓って最強だと思う。

本当オールマイティーにいろいろな事を頭と手を使ってきっと作り出し、編み出し、豊かに生きていくんじゃないだろうか?

それを本当の意味で’有能’というのではないか?

だから、私はめっちゃ尊敬するし、皆さんの方が何倍も賢くて豊かで貴重で・・・と思うわけです。

そんな事を思いながら、そんな話をしていると
まぁやらなくてもいーとはおもうけど、やりたいんだからしょうがねぇーよなぁ~と言ってくれた笑

まぁ本当野良着の本から昔の生活を読み解いても、簡単に
やりたいで~す!昔の生活まじリスペクトなんで~♪本当味あっていいですよねぇ~♪
自然を大切にして生きているのは本当すごいっすよねぇ~~~♪

なぁぁぁぁぁんて軽い言葉表すなんてあまりにも失礼で言えたもんじゃない。
私たちでは想像もできないような苦労があったんだろうと思う。
だからわざわざあん時の様な暮らしをわざわざ今やりたいなんておもわねぇぞ・・・って
素直な気持ちだと思う



それでもやっぱり、話を聞くとその奥にある’豊かさ’や’喜び’をふわっとじわっと感じることがある。

だからまったく戻ろうではなく
新たな方法で皆が楽しく健康に朗らかに、色んなことを共有しながら、生きていける方法のヒントが
隠されているのはそんな先人達が受け継いできた知恵や、ものの見方、使い方。
そんな所にあるんじゃないかと思うのだ。

あっ話ずれたな。


こんな事も頭の中でぐるぐる考えられる余裕があるなんて・・・・
本当有り難い時代になったものです。

まだまだ動ききっていないんだろうなぁ・・自分笑

必死に生きていたその当時
きっとこんな事考える余裕もなく
今一日、一日を精一杯!命いっぱい生きまくって
明日に向けて寝て起きて!
そうやって日々と向き合ってきたんだろうなぁ。

こんな余裕ぶっかまして、
生きれている自分は本当それだけで恵まれていると思う。

でもせっかくそんな時代に、そしてこの日本にて生まれ
動ける時間と心を授かったのだから、そんな事も考えつつ
出来る限りのことでこの身体を使わにゃ
あまりにも失礼な気がするわけです。


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