今私達は土地をさがしております。
その土地に自分達で建てた
小さな小屋と小さな畑で暮らしていきたいと本気で思っています。
その土地で自然から水・土・太陽・火・木々などの力を借りながら、
自分達の食べるもの、住むところ、使うエネルギー等は自分達で作り出し
自然からの恩恵を受ける分、その分私達も自然にとっても社会にとっても、もちろん自分達自身にとっても
素敵な関係でいられるバランスがあるのではないか?と
自分達の身をもって試してみたいとの思いがあります。
なぜなのかの一番の答えは
それがとても気持ちよくて、
とても楽しいと生命が感じているから・・・・・
ここが素直に一番です。むしろその気持ちのみで行動してしまった。笑
多分そこに付随する様々な問題点や疑問、矛盾もあるのかもしれない。
けど原点のこの気持ちが根っこにあり、
きっと自分達が心地よいと思うことは、回りまわってきっと
周りにも気持ちのよい循環が生まれる様な気がするのです。
何を目指したいのか&どうしてか?を考えてみたんだけど
① 日々の仕事=生きる を体現したい
② 新しい次の体験に出会う為
③ 先人達の知恵を知って使って楽しむ
④ 様々な価値観の誰もが寄れる場所
⑤ とにかく楽しくて気持ちよくて生命がワクワクするから
① 日々の仕事=生きる を体現したい
人間が生きるにはシンプルに考えると起きて、呼吸して、食べて、寝る
たぶんこれで生きていける・・・・・
ほか何かあるっけ? あっ排泄も大事だな。
けどこれをただシンプルに自らの手と脚を使いこなしていこうとすると
ただ食べるだけでも、苗を育てることから始まるし
肉食べたかったら鶏とかのお世話も必要
料理するにだって火起こすしその薪も必要
寝る場所が必要なら、それも作らなきゃいけないし・・・・
と数え切れないほどの様々な仕事があると思う。
たしかにすべて時間がかかるし大変と言われてしまう事柄にはいるかもしれない。
でも私・・・・この工程や、その時間がとっても楽しいのだ!
それを日々出来るなんて最高!と思うし、本来の仕事ってそういうことだったんじゃないかな?と思うのです。
② 新しく次の体験に出会うため
今までは働いて賃金を得て、そのお金でと引き換えに生活に必要なものをそろえては
無くなり、そしてまた支払いの為働くというのが一般的な社会で生きていくという中での流れだったように思う。
もちろん、仕事=収入だけではなく両立しつつ、そこにやりがいを感じ、自らの生命をワクワクさせてそして尚他のためにもなっている生き方を実践されている方々も沢山いらっしゃる。
だけど、何かを得る為にはお金を稼がなくてはいけない、そうでないと食べれない、生きていけない、家賃があるから、生活費があるから、老後があるから、保険があるから・・・・・・・・・・・・・
そういう所でもし止ってしまわざる終えない仕組みがあるのであれば、
全く逆のアプローチで考えていける生活スタイルに出会ってみたいと思うのだ。
自分が心地よい&楽しいと感じる状態に身を置くこと自体に価値があり
それによって気づけば誰かのためになり、結果的に
生活を成り立たせる基盤となれないのかな?
おそらく全ての仕事や物事の発端てここから来ているとは思うのだ。
きっとこの方が便利だな、これを作ったほうが皆喜ぶよな♪
そんな他を思いやる気持ちの広がりが今の‘会社’の始まりなんだとは思う。
でも最近は、どれだけ稼げるか、残業はあるのかないのか、ボーナスはどれくらいなのか、割のよい仕事なのか・・・・・
なんだかそこに焦点がいきがちな様な気がして。
きっとあると思うんだ。
だってもとのスタートは全て自分がやってみたかったから、そしたら皆も喜ぶかな?から来ているから
皆がそれぞれの生まれ持った使命を大いに発揮して、自分も周りも喜べる仕組みが作れるのではないかと思うのです。
③ 先人達の知恵を知って使って楽しむ
石垣にいるときから思ってたけど、本当先人の方々の知恵ってすごい!
畑で取れた人参一個洗うのだって、皆で持ってたスポンジのような物で一個ずつ洗ってたら笑 こんなんこれでちゃちゃっと終わりよ~とお婆ちゃんが、人参の葉っぱを豪快にむしりとってそれでごしごし。一発!終了!
こんなのは本当小さな例だけど、そんな小さなことにしたって知恵。
当時のネットも何もない時代のほうが、今よりはるかに多くの事を感じ取って知っていたんじゃないかと思うことが多い。
今は家を作るのは大工さん
野菜を作るのは農家さん
電気が必要なら電気代をはらって
水が必要なら水道屋さんにお願いして引いてもらって
と全てがそれぞれのプロがいてだけど
昔は皆が皆それぞれをある程度できていたし、方法をしっていたのではないかと思う。
自然の読み方、見方にしてもそう。
いつ種をまくのか、それはなぜなのか。月との関係などなど・・・
お爺ちゃん、お婆ちゃんたちと話していると、そんな知恵をあたかも全然何でもないかのようにさらっというし、当たり前のように。
だけど聞いているこっちはえーーーーー!何それ!すごすぎる!偉大すぎる!そんな方法があったのか!なるほど!って事が多い。
また昔の本なんか読んでみても、なぜそんな事知ってたんか!?ってくらい
自然との付き合い方が理にかなっていたり・・・
せっかくそんな素晴らしい知恵を持ち、産み出した歴史があるのであれば
知らないままなのは持ったいなすぎる!使わないなんて更にもったいなすぎる!と思うのです。
私も全然まだ知らないんだけど・・・・・汗
これからどんどん吸収させて頂ければと思うのです。
④ 様々な価値観の誰もが寄れる場所
こんな事を言ったり考えたりしていると、段々と同じような考え方を持つ人と出会いも多くなり集まりやすくなると思う。
でも私がひとつ懸念しているのは、
私が今言っている事を思わない人がいたとして、そんな人からみて
あーーー環境系ね、ネイチャー系ね、なんか自然に優しく~みたいな生活をしたい感じね
とか笑 (私もとかく思いがちだから・・・・笑)
あ~~そういうの素敵だけど、私そこまでガチじゃないし、すごいけど、なんだか入っていくのはちょっと・・・・・
みたいな。笑
全然それでいいと思うの。皆バラバラだし、それぞれが素敵であるから
ただ違う感覚を持つ人同士がそこに一線をひいて、やっている人、やっていない人という様な線引きになってしまうのはとてももったいないなと思う。
そんな事は本当にどうでもよくて、そんな間逆な考えだったり
色んな価値観の人がいつでも別に環境に興味があろうがなかろうが
最後になんだかあ~楽しいね、幸せだねって思える心に至れればそれで良いと思うのだ。
物で満たされた幸せ感ではなくて、その空気を共有したって事だけでもう
すでに素敵だと思うのだ。
そんなちゃんぷる~な場所だとまるで小さな地球がそこにあるようで良いんじゃないかな?と思う。
⑤ とにかく楽しくて気持ちよくて生命がワクワクするから
と長々とやっぱり書いてしまったけど・・・・笑
んーーーーなんか堅いな・・・w
結局なんでかってのはここに戻るのだけど
とにかく生命がキラキラするのを感じるから!きっとそれは良いサイン!
そしてきっとできること!
やってみなきゃわからない!どういう形にしていくのかは、やりながら決まっていくのではないか・・・・・と思っています。
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