今日足踏み脱穀機と唐箕(とうみ)を使い脱穀作業をしてきた。
現代では資料館に並んでいる奴だ!みたいな存在になっているこの子達は
ただの作業面だけでなく、
人と人を繋ぐソフト面をカバーするすごい子たちだ!と思った。
ここ最近・・・・
この長南町での暮らしは
毎日がまじで4コマ漫画だと思うなぁと感じる。
毎日がなんだか
一言”幸せ”という言葉をわざわざ言ったり書いたり、出さなくても
なんだかその感覚がぷわぁ~~~~ん香る空気感がそこら中に漂ってて
なにがそんなに、嬉しい気持ちになるのかわかんないけど
最後にニマっと笑ってしまう。みたいな
(あぁ~絵が上手&好きだったら4コマ漫画書きたくなる瞬間が沢山ある)
そこにあるのはいつも、人だ。
そんな
お借りしてきた足踏み脱穀機
そして、地元の車屋さんから譲って頂いた唐箕(とうみ)を使い
(農機具を扱う車屋さんから、昔の農機具を頂くという・・・・長南町の凄さ&米作りに関して語って頂けるという地域への愛をビシビシ感じて・・・ちょっと泣きそうになってました笑)
皆で作業開始・・・・・
うぉぉ~~~~!すげ~~~となりながら
途中でヒーローが現れ
沢山教えてもらう
最終チェックは・・・・
こりゃまだまだ!とのこと(笑)
まだまだ練習が必要ですね♪
でもどうにか全部やりきって無事終了。
お昼ご飯は美味しーハヤシライスを準備して頂き・・・・・
もう大感謝!
昔の農機具が画期的だと思うのは、
人と人との時間を紡ぐ部分に関して、最強だと思うのだ。
(ごはんを一緒に食べる時間は、いつ何時いつでも最強だけどw)
なにより楽しい。
この農具の周りでこんなにも笑いや、会話が生まれ
すぐに終わらないからこそ、共に時間を過ごすというきっかけを作り
(んっ!この上の状態の空気感。お見合い企画とかに最高じゃない?笑)なんてふと思った笑
そう、なんだか思うのだ。
確かに米を作るという所が最終的な’目的’にあるだろう
だけどさ・・・・なんだろうな私の中で
その目的に向かうまでのその過程やプロセス
そういう部分には必ずこうやって人と人との手が重なり合う時間や
声を掛け合う時間があり
昔のこういった器具ってそういったソフト面すらカバーしている点で、大発明品じゃないかと思う。
そしてこの光景を見ながら思った。
私さ
自分が前感じたように
生きてんな~とか、暮らしてんな~今なぁ~って
思うなんとも言えない感覚を少しでも味わえる場が作れたらな~と思って
だから動いてきた。
目の前の光景をみて思った。
きっともうすでに目の前にそんな感じの風景が広がっているなと。
そして、それは”私”がどうにかこうにか、やって出来たことではなくて
沢山の人達の力や思いや行動で、気づいたらそうなっているわけで
世界ってなんてこう絶妙なバランスで出来ているんだろうかと
全てに関して大拍手を送りたくなった(笑)
そして気づく。
すべての物事は、私達人が再度仲良く暮らせる為にある出来事だと。
この米の作業の様に、何かを達成しようとする目的の本当の目的は、
こういう作業の時間かもしれない。
大変かもだけどそれはとても和む時間である。
たとえば、ニュースとかで叫ばれているような”自然破壊”や”人権問題”、”経済問題”等々の事も一緒で
一見その問題を解決することが目的だとしても
再度仲良くやっていけるように、解決をしていこうとする大きな作業の時間を共有することが
本当の目的なのかもしれない。
だってそれはとても楽しくて和む時間のはずだから。
そんな事で2日目のブログ無事終了~!
いえぇ~い!
では、また明日♪
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